萌木の村 村民かわら版

八ヶ岳・清里高原「萌木の村」のスタッフが綴る季節ごとの村の表情や、個性あふれる各店舗のあれこれです。
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マンスリー上次さん 6月号

 毎日、目が覚めるのが楽しくて仕方がありません。日を追うごとに萌木の村のガーデンの山野草が大きく成長し、また小さな花を咲かせ始めました。
私達は三年前からポール・スミザーさんとナチュラルなガーデンを作り始めましたが、最初は彼の言うことが理解出来ず、対立する事もありました。私がお願いしているのに呼びつけられて「あなたは間違っている」と怒られたりもしました。「なぜ私が説教されなければいけないのだ!」と内心思ったこともあります。しかし、今は彼の言う事を信じられ、植物は見事に育ち始めました。まさにコロンブスの卵です。
社会という我々の住んでいる地球では、正しい事も正しくない事も日一日と成長し、時には間違った事でもそれが正しい事のように解釈され、それが常識になっている事があります。自分自身もそう思い、周りもそう思っているから大変です。私がやってきた環境作りで萌木の村内の歩道、庭、立木の伐採、植樹があります。良かれと思ってやってきた事ですが、今考えると中途半端でした。その為、いつもやり直しをしなければなりませんでした。
今回ポール・スミザーさんと関わり一緒に仕事をさせてもらい、本当に本質や必然を分かっていて、なおかつ、質の高い感性が求められている事が分かりました。我々スタッフは現場作業をしていてスミザーさんの指示に従い、コツコツと三年間やり続けました。まだまだゴールは遥か先ですが、今、皆さんが萌木の村を訪れてくれたら大きな違いを感じると思います。作業をしている私達ですら、こんなに美しく変わるとは想像できませんでした。ポール・スミザーさんの感性がすごいのは3年後、5年後、10年後の山野草・樹木がどう育ちどのようになるのか予測する力、未来から逆算して、今何をするかが見えている事です。「来年はこうなる」「そして次の年はこう成長していく」と話すその通りに見事なっています。
私は仕事においても彼の考え方に大きく影響されました。中途半端な考えではやらない。こうしようと思った事に100人が100人それはいいと思う事はやる。1人がやる99人が反対これも相当面白い。今までやってきた私の仕事で今続けられている事は、皆最初は反対された物ばかりでした。しかし、それはコロンブスの卵のように実は難解だと思っていた事が一番ナチュラルで、どこでも、誰でも出来る事なのです。まだまだ作業は続きますが、相当、素敵な萌木の村になっています。見に来て下さい。
フィールドバレエが25回目を迎えます。
本当に多くの人に支えられたおかげで続けられました。何回も何回も厳しい状態に直面しましたが、その度私達を助けて下さる方が手を差し伸べてくれ、救ってくれました。バレエ界の方々に言わせると「世界のどこにもない、ここだけの野外バレエだ」との事です。仲間と共に一年一年続けてきた事が25年にもなりました。今年も公演初日7月28日の幕があがるのを楽しみにしています。
このフィールドバレエは言葉で説明しても通じないのです。自然の星空の下で芸術がコラボレーションするのですが、五感がビリビリと感じる不思議な時なのです。その時、そこにいた人達でしか会話が繋がらないのです。実は会話とは共通のイメージを持っている人達でないと言葉が通じていない事があります。私のような田舎に住んでいる馬鹿者は時々勉強会などに行きます。先生の話している単語は分かるのですが、内容が何を言っているのか分らないのです。イメージ出来ないという事があります。私はフィールドバレエの事を熱くなって話すのですが、このバレエを一度見に来て下さった方と話すと盛り上がります。しかし、来た事のない方と話すと相手の方にはイメージが出来なく、実は一方通行の会話になってしまいます。
これだけは一度見に来て下さい。関わる私達が全力で、一丸となって、一つの目的に向かってやっている姿を見て貰いたいのです。私達は一年に一回厳しく難しい事に挑戦します。なぜやるのかと聞かれたらこう私は答えます。それは「感動」と。
上次さんの気持ち
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お知らせ

Y313931163.jpg 私はふる里をアルコール文化発信基地にしたいと思っています。
今年はスタッフ達と一緒に掘った室がやっと出来上がりました。また、3年前からホテルのバーを改修し、バーテンダーの久保田君の夢と共に、素敵な時を過ごせる場所にしました。そして、お酒の飲めない私がウィスキーの魅力にハマっています。飲んでいる人がうまいウィスキーを飲んだ時の幸せな顔を見て、それなら「そんなうまいウィスキーを飲んでもらおう」と思ったのです。
最初はスコッチウィスキーから勉強を始めました。私はホワイトホースやジャックダニエルしか知らなかった訳ですから、マッカランやボーモアなど単語一つの意味が理解できず、闇の中を歩いているような状態でした。
そんな中、お客様やバーテンダーの皆さんに指導されたウィスキーを集め始めました。そして、ここ1年間は特に日本のウィスキーに惹きつけられました。それはウィスキーから1980年代やそれ以前の日本という国が見えてきたからです。日本ではモンデ酒造、協和醱酵、東亜酒造、宝酒造、東洋酒造、本坊酒造、合同酒量、合同酒精、キリンシーグラム、ニッカウィスキー、サントリーというメーカーがウィスキーを作っていました。「その時代から今までのウィスキーを入手出来ないか?」これが私の日本のウィスキー集めの第一歩となるのです。
何も知らない私は都会の有名な大きな酒屋さんから回ります。しかし、目当てのウィスキーはほとんどありません。甲府で残っている酒屋さんを回りますが、やはりほとんど見つかりません。当時は町の中心的役割を果たしていた酒屋さんが、酒の販売方法が法律で変わったため、ほとんど廃業のように追い込まれてしまいました。都会ではそこに新しい店が入れ替わるのでしょうが、地方では「酒」という看板が残ってはいますが、多くは廃屋です。日本酒やワインで特別な知識と入手ルートを持っている店だけが生き残っておりますが、ウィスキーはほとんどありません。80年代、90年代はウィスキーが飛ぶように売れたと口々に皆さんが言います。地方では、ここ15年位ウィスキーは安売店かコンビニエンスストアーでしか売れていない状況です。
そんな中、80年代からずっと酒屋さんを続け、おじいちゃん、おばあちゃんだけで頑張っている小さなお店があります。私が行くと昔お二人で頑張ってきた時の話をしてくれます。そして、棚の奥に埃を被ったまま10年、20年ずっと置かれたウィスキーがあります。私は今日までそんな酒屋さんを300件位尋ねました。中には倉庫を片付けてから電話をすると言ってくれたおじいちゃんが2か月、3か月経っても電話がかかって来ないので、訪ねて行くと、店は閉じ、おじいちゃんは亡くなっていた事もありました。今、私が探し出さなければ、そんな埃を被ったウィスキーはこの世から消えてしまいます。田舎はいつも宝物がいっぱいあるのに気付かず、失ってしまっている事が多いのだと思います。私自身もそうです。始めはサントリーのザ・ウィスキー、ニッカの竹鶴、メルシャンの軽井沢21などを探しました。しかし、日本のウィスキーを知れば知るほど、良いとか高いとかではなく、すべてのウィスキーが時代背景の中で作られ、今でも続けて製造されている物、消えてしまった物など、興味の幅はどんどん広くなり、今ではマグナムボトルという大きなガラス瓶も集め始めてしまいました。そうすると、またそこから知識が広がります。
一人のお酒好きな人が毎週一本ずつ飲むとすると、1年間で48本飲みます。しかし、その人が亡くなってしまうと全く売れなくなるというような話を酒屋さんからいっぱい聞きました。ちょっと前の日本は今よりずっと楽しかったように思えるのは、私だけでしょうか?
集めたお酒は飲むためにあります。私の集めた古いお酒はすべて抜栓します。希少な1本でも構いません。ただし、飲む理由だけは持っていて下さい。ただ飲むだけだったら、いつでも入手出来る物を飲んで下さい。私共の古酒は、見合った価値が有る人に飲んでもらいたい。そんな使い方が出来れば、20年も30年も、このお酒を守ってきたおじいちゃんやおばあちゃんも喜んでくれるのではないかと思います。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 5月号

 私は今、何かに取りつかれたように夢中で、フィールドバレエ、ウィスキー収集、山野草ガーデン造りに励んでいますが、すべてに共通して言える事は、今まで培ってきた経験と人との関わりがあったからこそ、やり遂げられると痛感しています。私は自分自身で何かを極めたとか、何か一つの事をコツコツとやり続けたというものはありません。しかし、私の知人・友人達の中には、一つの事をやり通している「巧み」といわれるような、その道の第一人者の方々がたくさんいます。それは地元にも、遠方にも。私が何かをしたいと思った時、いつもその友人達が私を助けてくれるのです。
清里フィールドバレエは一人一人その道のプロという人達が集結します。監督、音響、照明、大道具、小道具、ファイアーアート(花火)、衣装、舞台監督、芸術監督を始めとするダンサー達。私はその方々に「今年で25回目を迎えるこの記念の公演を節目の公演として、昨年に続き“THE”をつけ、“ここだけの”、“この時だけの”感動の舞台にしたいので力を貸してほしい」とお願いしました。すると今まで24回行ってきた経験と知識から、これまでバレエの舞台では行った事のない新しい提案が幾つも出され、実現可能なのか議論が熱く交わされました。今年は私が思っている以上の舞台が提案できそうです。清里フィールドバレエは、世界中でここだけの感動の舞台になります。私はその光景を想像するだけでも、今からわくわくしてしまいます。しかし、フィールドバレエは野外ですので雨の降った日の事も頭によぎります。舞台に関わる人も、見に来て下さる人も期待が大きいだけに雨による中止は大きな落胆にかわります。神様はすべてを与える訳ではありません。そんな試練があるから私達は一回りも二回りも成長出来たと思います。今、私達はより素敵にフィールドバレエを見ていただくため、ポール・スミザーさんの指導のもと、会場を始めとする萌木の村の環境整備を行って3年目を迎えます。今年は八ヶ岳に自生する山野草が力強く芽を吹き始めています。
今回そんな素敵な舞台が実現出来るのは皆さんが支えてくれたからです。
本当にありがとうございます。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 4月号

  清里の大雪、本当に厳しい状況でした。普段と違う想定外の事が起きると、人はなんと無力かという事を思い知らされました。
私は昨年から、私共の状況から考えると少し無謀ともいえるホテルのレストランの大改装、萌木の村広場の整備に着手しました。「今しかやる時がない」「このまま騙し騙しやっていたのではスタッフも夢を持てない」「みんなでもう一度、開拓者になろう」「そして実り多い明日を勝ち取ろう!」…とその矢先のこの大雪。全てが止まりました。新聞にも取り上げられませんでした。清里に人が来る事が出来なかったのです。うまくいっている時でも2月3月は閑散期です。借金だけは誰にも負けない位と思っている私ですが、さあ大変。大工さんはじめ職人さん達に払う工事代金も払えなくなりそう。このままでは先が見えています。スタッフ、アルバイト全員で知人・親戚にビールを、カレーを、食事券を買ってくださいとお願い。私も友人・知人に「ビールを飲んでくれ」「カレーも美味しいよ!」7月まで使える食事券をと旗を振り続けました。なんと○○○万円、一ヶ月で皆さんが買ってくださり、何とか乗り切る事が出来ました。
本当に本当に私は幸せ者です。私たちはこの仕事を続ける事が出来そうです。このお礼をどうお返ししたら良いのか、皆さんの優しさにどう恩返しをすれば良いのかを考えます。私を知っている方、萌木の村を応援して下さっている皆さんには、今まで以上の感謝の気持ちと、それを形でも作り上げていき、「私の好きな萌木の村が素敵になった」と皆さんに一目でわかってもらえるように、私たちは全力を尽くして毎日毎日、一歩ずつ変えていきます。
皆さんからの多くの励ましの電話や手紙やメールに、本当に力を与えてもらえました。
感謝、感謝、感謝。
三年前から石積み、穴掘りを友人の章ちゃんと続け、少し腰を痛めてしまいましたが、皆さんからの支援で勇気百倍!目いっぱい飛ばします!
ローカルを徹底的に磨き、グローバルに通用するここだけの「萌木の村」を作ります。その事が支援してくれる皆さんへの恩返しと考えます。
またその為にも人のいい私共のスタッフにどんどんチャンスを与え、一回りも二回りも大きな人になれるようにサポートしていきます。
春がそこまで来ています。どうか、萌木の村にお出かけください。そして気がつくところがあったらどんどん指摘してください。
萌木の村は、私たちだけの物ではない事を知りました。
皆さんと共に、萌木の村がある事を。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 3月号

  この大雪は私の知る限り、清里では初めての事でした。"陸の孤島"という言葉が正にあてはまる状態でした。皆さんからご心配や励ましのお言葉をたくさんいただき、このような時一番大事なのは人の言葉だと、つくづく思いました。
 さて、そんな大雪の中でもホテルのレストラン改装工事は再開され、一歩一歩、前と進んでいます。私の萌木の村は永坂先生という甲府市にお住まいの設計の先生との出会いからスタートしています。その先生のご紹介で最初はロックを建てました。43年前です。次にホテル「ハット・ウォールデン」の建設を、長野県でリゾートホテル等で実績のある北野建設にお願いします。ニューヨークに「ホテル キタノ」というホテルを持っていたという事も、その会社にお願いする大きな要因になりました。
その後、一人の若い大工さんに出会います。堀内正人さん。希望に満ちあふれた若者でした。独り立ちしたばっかりの彼に、今の自然木工房ONO(当時はメリーマック)の建物を作ってもらいます。そして私はその仕事ぶりと彼の人間性に惚れ込み、一緒に萌木の村の計画を進めていきます。
そんな彼ですから、若い腕の良い大工さんたちが彼の元に集まって来ます。守さん、ヘイちゃん、末吉さん(以下末さん)、池さん、この人たちは今それぞれ独立して、皆それぞれに刺激し合いながら質の高い仕事をしています。
その中の一人、末さんという大工さんは棟梁(建築工房ゆほびわ)としてバレエ教室、ホール・オブ・ホールズ等を作ってきました。根性が人一倍で負けず嫌い、ともかく仕事好き。彼のエピソードは山ほどあります。そんな彼が独立して良い仕事はするのですが、いつも頑張り過ぎるので儲からないという事がありました。そのために苦労をしたことも、大きな苦難にあったことも。そんな中でも、末の腕の良さ、その仕事ぶりに憧れ大工を目指す若者たちが集まって来ました。彼らの作る家は年々質が上がり、依頼者からは本当に感謝されるようになって、それが口コミで広がっていき、今では八ヶ岳で一番質の高い良い家を作る集団と言われるようになりました。
 その集団「ゆほびわ」に今回のホテル改修をお願いしたのですが、私が思っていた以上に、彼らの腕は上がっていました。本当に一人一人が凄い腕になっておりました。私は今まで萌木の村を作ってきたので、建築については相当わかります。今、間違い無く木造建築では最高でしょう。そして今回現場を見ているのですが、本当に凄い腕です。多分皆さんも3月23日以降ホテルのレストランを訪れていただいた時に、その違いを見て下さい。ビフォー・アフターのテレビ番組に出せば良かったと思います。
 大工工事がパーフェクトだと、左官屋さん、塗装屋さん、電気屋さん、全ての皆さんがベースの仕事の質に合わせて全てが丁寧でパーフェクトな仕事になっていきます。私たちホテルのスタッフもこんな器を作ってくれるのだから、もっと良いサービスをしなければと思い、勉強してくれております。特にチーフの塚田さんは八ヶ岳、軽井沢へ食べ歩きをしていろいろと考えてくれております。
 地域とは、そこに住んでいる人の中で、少しでも頑張る人がいると波がおきるのですね。私たちもこれから清里・八ヶ岳という所が良くなるために「ゆほびわの皆さん」のような役割が出来るよう頑張りたいと思います。そして私・舩木も皆さんが元気になる事が出来るような役割の人間になりたいと思いました。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 番外編

 皆さん、多くの方々から励ましのお電話やメールありがとうございました。

 清里は完全に孤立しました。前の国道141号線ではトラックが3日間動けなくなり、ロックでコーヒーやトイレを使ってもらいましたが、私たちも一歩も動けなくなりました。こんな大雪は今まで想像した事がありません。新聞も届かず、電気だけ止まらなかった事が唯一救いでした。
テレビで甲府市の事が放送されましたが、清里にはマスコミの人も入ってこれず、"陸の孤島"になりました。東北の震災にあわれた人の事が実感として少しわかるような気がしました。
毎日毎日、私は機械を使い雪かきし続ける日々でした。雪の中に皆覆われてしまっているために、看板や屋外の物がだいぶ壊れているようです。
 でもこの「異常気象」はこれからもあるような気がします。大雨が降ったり、何か地球の環境に変化が起こっているのでしょうね。経済的な発展と便利さだけを追求し人間だけが地球を支配してしまう考え方が、こんな結果をもたらしているのではないでしょうか。
しかしこの地の住民である鹿や野鳥はどうなってしまうのでしょうか。自然の中で生きている彼らの事が心配です。いつもなら鳥が飛んでいるのに、一日中外で作業をしていても鳥の鳴き声が聞こえないのです。空は真っ青、山々は雪景色、夜空の星はものすごく美しいのに・・・。

 私たちはこの試練を乗り越えますので、皆さまのお心遣いを最大のエネルギーにします。
本当に皆さまからのご心配の気持ちが私たちに勇気を下さる事。これからも私が出来る事を、皆さまと同じようにしてきたいと思います。
本当にありがとうございます。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 2月号

 私の友人の輿水章一さんが中心になり製作していたワインセラーが、ついに90%出来上がりました。あとは扉を鉄で作り、室の中に棚を素敵に取り付ければ完成、というところまで仕上がりました。醸造家の勝沼・ルバイヤートの大村さんをはじめ、何人かの人たちに見てもらった感想は、『想像以上の仕上がり!』と一様に皆さまビックリ。サントリーのチーフブレンダーの輿水精一さんも一月一日に見て頂きましたが、その時にも「ここにウィスキーを寝かす事が出来ればどう熟成するのか、興味を誘われる」と言って下さいました。足掛け二年、手作業だけで掘り続けてきましたが、もうすぐ完成します。今思うとこつこつ一歩ずつという作業は、やっている間に次から次へとアイデアが生まれてきます。初めにあるアイデアとどんな物になるのかはある程度は分かっていましたが、思っていた事よりはるかに質とセンスの良い物になりました。今回学んだ事はとっても大事な事でした。

スピードを求めてはいけない
手を抜いてはいけない
一日一日考える

天上にレンガを張ってあるのですが、最初に作ったものと二番目に作ったものでは格段の差です。同じ物を使って同じように仕上げても、ここまで格好良くなるのかと思えるほど、見ただけで違います。又スタッフ全員に手伝わせた事により、少しだけスタッフも考えれば何か出来ると思ってくれるようになりました。
今後セラーには山梨の選ばれた六社のワインがこの中で熟成されます。ウィスキーもストックされます。また度数の高い私どものタッチダウンビールもここで熟成します。
ホテルのレストランの改装とこのセラーはコラボレーションします。私どものホテルに宿泊して下さった方々には、最高の条件で眠りから覚めたワインをお飲みいただける"感動"をプレゼントできると思っています。

 トピックスとして、私どものスタッフがおもしろい事を考えてくれました。
私どものバー「パーチ」秘蔵のウィスキー5本を使って、世界でここだけという目ん玉が飛び出すようなトリュフ(チョコレート)を作ります。2個ずつ5種、10個で3万6千円というチョコレートです。多分こんなもの、私どもでしか作れません。トリュフ作りの匠の原田さんと私どもバーのウィスキーのコラボレーション、とてつもなく原価の高い、しかもただお金を出せば作れるというものではありません。もう入手できないウィスキーなのですから。
こんな夢をスタッフが考えてくれる事は本当にうれしい事です。限定10セットですが、あと残り3セットと聞いています。
 夢とはおもしろいものですね。これからも夢を追いかけていきます。
今年もエキサイティングな一年になりそうです。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 1月号

  堀江貴文(ホリエモン)の「ゼロ」と井川意高の「熔ける」の二冊の本を年末に読んだ。二人の人生を対比しながら自分を重ね合わせ、考えさせられた。
特に私はホリエモンが昔から好きだった。価値観は私とは違うが、一つの目的を持った時のあの働き方・生き方はすごいと思っていた。大王製紙創業家三代目の"転落"の井川意高さんの仕事に対する考え方の中には共感でき、学ぶべき事も多かった。また堀江貴文さんのすべての失敗もゼロに戻る、そこから一歩を積み上げていくという事は、今の清里・萌木の村にも通じる。

 私は今月65歳になる。萌木の村の環境整備とスタッフ一人一人の生き甲斐を持った目標作りをサポートするのには、あと数年が必要だ。私の仕事は私の考え方で、その事をプログラミングする事が私のやりがい・楽しさになるのだと思う。私はこの本の二人の著者のように優秀ではないが、彼等と同じような過ちも何度となく侵してきた。良き友人にもまた師というような方々にも出会って道を教えてもらえた事もたくさんあった。仲間を信じ、保証人のはんこを押して一億近い弁済をさせられた事もある。バブルの時に萌木の村周辺の土地を乱開発から守るために今考えると信じられない価格で8ヵ所を押さえてきた。そこには十億近いお金が支払われた。
彼等二人が自分の人生をオープンにして人生の失敗をさせないように思う優しさは共感できる。そして私の人生もよくよく考えてみると、相当波瀾万丈だと思った。そしてその事を伝えていかなければならないと思った。
私の場合、知識、基礎能力が浅はかなまま大きな目標を持ってしまうために、いつもそのギャップでアンバランスが起こり、多くの人たちにその事を叱られ注意される人生だった。
ホテル、オルゴール、バレエ、ビール、すべてその時その時に私の周りにはプロフェッショナルの人たちが現れ、サポートしてくれる。そのために外から見ると実力があって今があるように見えるのだが、実は【一歩間違えば大変な事になっていた】一歩踏み出すと、いつもその道の達人と言われるような人が私に手をさしのべてくれるのである。
でもこれからはそんな人だのみに甘えてはいられない。自分の意志で、出来る事で、目標を持って作り上げて、次の世代に基礎を作り上げプレゼントしてあげたいと思う。

 すべてを"ゼロ"と思い一歩ずつ積み上げていくスタートの年にしたいと思う。
人生とはなんですか?仕事とはなんですか?を、私の生き方の中から少しでも見えるような『自分作り』に努めたいと思う、年始めです。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 12月号

 人は本を読んだり、人に会って話を聞いたり、旅行して体験した経験などからいろいろ学びます。その学んだ事が日々の出来事の中で生じる決断力に生かされます。
 私達の住む清里では清里ならではの生活があります。私達は自然と付き合いながら現代の恩恵を受け、毎日生かされております。今の時代は都会に住んでいる人達と同じ事をしてもこの地で生きていく事は出来ます。しかし、それではこの地で生きる事がとっても虚しいものになってしまいます。
 私共のホテル・レストラン・博物館で働くスタッフは、分業化された今の時代、自然と関わらなくても普通に生活していけます。そして何も考えなくなります。私は、スタッフに石積みを、土を掘る事を、薪を作る事を、農業をする事を日々の仕事以外に経験させる事にしました。例えば、ダンロで燃やす薪にしても木を切り、枝をはらい丸太を50cmに小さく切り、それを割り、積み上げる所などは、今までは人に頼み、スタッフはその積まれた薪をダンロの中に運び燃やすだけでした。それでもスイッチを入れるだけで暖かくなる生活からすれば大変な事だと思うようです。でも、そこまでの作業の事は知らないのです。実際には何も知らないスタッフが薪作りのプロの人の所に手伝いに行っても足手まといです。それでも私はプロの人達に経験させて下さいとお願いして作業を手伝わせております。一人前の人の1/10位しか仕事をしなくても、一日手伝う事はスタッフにとっては大変な事のようです。薪を積むまでにこんな大変な作業がある事を知る事が大事なのです。清里で働くという事は都会で働く事の他に、いろいろやらなければいけない事を知り、経験する事が大事なのです。実はその経験が人生の中で大きく役立つ事になるのです。「自分にも出来た。」そしてその経験が苦痛ではなく楽しくなるスタッフも出てきます。そこからアイデアが生まれたり楽しさを皆様に伝えたり。
 都会は人間が造った物です。自然は神様が作られました。私はそんな所で生きているのです。どっちが素晴らしいかは考えなくてもわかるはずです。私達は素晴らしい自然の中で生きているかと思えれば、この地は天国です。
 私は今、先人達が清里開拓をした希望に満ち溢れ生き生きとした時代の生き方を少しでも萌木の村で働く人達に伝え、経験させていこうと思っています。私達は春の芽吹きの頃まで開拓者達が春の訪れの為に冬に準備していた事をこの時代にやっていこうと思っています。私がこうしたいああしたいと思っても体験していないと共通のイメージが湧きません。私は今、スタッフの研修とそんな体験を通して清里で生きるプロを育てたいと思っています。まだまだ過渡期で皆様に満足していただける物までは創れませんがいつか必ず皆様にここだけの萌木の村をお見せできるように作り上げますので、楽しみにしていて下さい。1日1日こつこつと小さな手作業が大きな実を花を咲かせます。感謝
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 11月号

  私たちは今、萌木の村の小さな尾根(小山)の所に室(トンネル)のような穴を掘っています。勿論、人力で手作業です。昨年から作業を始め、今回また再開しました。一鍬一鍬、土を掘って行きます。粘土層の地下の土は固く、一日作業をしても1m位しか進みません。横穴を掘り、小さな室を作り、そこにワインやウィスキー、そして私共のアルコール度数の高いロックボックのビールも保存し寝かします。夏も冬もその中は14度前後です。そこで寝かされたワインやウィスキー、ビールが熟成される事を夢見ています。
 131030-2.jpgこの穴を掘って思う事は、この時代、何でもかんでも効率化ばかり求めた為に、人の力による作業が全て機械化されどこでも同じ物ばかりしか出来なくなりました。私たちのような清里に住む人たちは自然と向き合いながらこつこつと手作業で共生していかなければいけないのではないか。今私たちのしている事は現代社会の中では非常に馬鹿げた事のように思われますが、実はこの作業を通して多くの事を学び、考える力を、私たちは手に入れました。
機械を使って作業をする事は人にとっては効率的かもしれません。でもそれでは"味わい"はありません。私たちの作っているこの穴はとっても素敵になります。
 清里の自然景観は、私の子供の頃はとっても美しく今よりも素敵でした。何故かと言うと、石油も電気も今とは違いました。そのため生活は森の木材を燃料として使っていました。炭も木から作っていました。林は人の手が入っているため、今はうっそうとしていますが、太陽の光が地上に恵みを与えていました。山野草が咲き乱れ、スズランが群れている所もいっぱいありました。今その場所はクマザサで覆われています。開拓者が入植した頃この地は、松のクマザサに覆われていたと言われています。そこを開拓して畑を作り、森の木の恵みで冬の厳しい寒さを耐えて生きてきました。
清里の萌木の村の景観を考えた時、森と木に関わる仕組みを作らないと、人はいつか手を抜きます。例えば、私たちのホテルのレストランには石油ストーブが2台、薪ストーブが2台あります。私は寒さから暖房が必要な時にはまず薪ストーブから。そして足りない時には石油ストーブと決めていますが、時々薪が用意されていなく、石油ストーブで部屋を暖めています。石油ストーブがそこにあるから・・・、取ってしまって暖炉とか薪ストーブだけしかなければ、薪で暖をとるしかありません。その為にはそこの木を切り薪を作るのか。
皆様にはぜひ木の燃える、そんな中で食事とお酒、そして語らいをしてもらいたい。
必然な仕組みを作る事が大事だと思います。私は今ここだけ、この時だけ、という"物"、"事"づくりをこの萌木の村で提供していこうと考え、その追求をしていこうと思っています。
 年内にこの穴は出来る予定です。楽しみにしていて下さい。
上次さんの気持ち
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