萌木の村 村民かわら版

八ヶ岳・清里高原「萌木の村」のスタッフが綴る季節ごとの村の表情や、個性あふれる各店舗のあれこれです。
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マンスリー上次さん 10月号

 一年前に佐野眞一さんが書いた「あんぽん 孫正義伝」を読んで泣いた。ソフトバンク生みの親・孫正義さんの生き方に私は感動した。その時と同じ気持ちについ最近なった。前々から声を掛け合い、何か同類の仲間のような親しさを感じていた男・スーパーやまとの小林久さんの話を聞く機会を得た。植月のぼるさんという方が会長をしている八ヶ岳VIPクラブでの例会で小林さんを呼ぶので舩木さんも来て欲しいと会長からお呼びがかかった。この会は八ヶ岳に移り住んだ方々を中心にした素晴らしい方々の親睦を深めながら、地域を愛し、勉強会を重ねている人たちの会だ。私も今までに二度お話をする機会をいただき、自分の考えを話させてもらった。植月さんが言うには私と良く似ている方なので、という事だが、実は私も相当いつも本音で物を言い、度胸も座っている方だと思うのだが、小林さんの方が私より一回りも二回りも上だ。そして何より話術がうまい。人をどんどん引きつける。彼が山梨の教育委員長になり、その破天荒な考え方を聞いていて、私も県の諮問委員会や市の委員会ではこの地だけに通用する悪しき常識と、無知だが声の大きさと立場だけで物を言う議員の先生方と戦ってきたが、私の場合はいまだ委員レベルで、たいした事は無い。しかし小林久さんは"長"だ。その立場でやんちゃ小僧をする訳だからすごい。
 私は今、この清里を日本一素晴らしい誇りのあるふるさとにしたいと考えているが、争いを避けて、立場の有る人とは妥協しながらうまくやらなければいけないのか、と少し思い始めていた時に、彼の話を聞いてしまったのは、ある意味で私にとってはとても不幸な事かもしれない。私も闘争心に火をつけられてしまった。でも、私の知るポール・ラッシュ博士も私が子供の頃、多くの人の反対の中でも自分が正しいと思う事は曲げる事はなかった。またポール先生の今生きている人の中では最後の弟子になったと言ってもいい山梨県馬事振興センター、モントリオールオリンピックに行った石黒健吉さんも、今だに真っ直ぐに生きている。私が大物ならともかく、小物なのだから全力で真っ直ぐ生きたって、もしかしたら間に合わないかも知れないのだから、よし!もっともっと本音で自分が正しいと思う事をやろう!と心に決めた。
「俺が正しい」と確信が持てる事など世の中の多くの事の中のほんの少ししかない訳だから簡単な事。自分の周りの事をするのが私の役割だと思う。
憲法の事と か原発の事とか、身近な事ではリニアの問題とか中央横断自動車道とか、それらの事に関心が無い訳ではないが、本当はバッヂを着けた議員達がもっと勉強して自分の意見を言って欲しい。いつも"100"か"0"はおかしい。
賛成する人はデメリットを知り反対する人はメリットを知って答を出して欲しい。その時どの基準で判断したかをはっきりさせて欲しい。
 東北から帰ってきていろいろ考えていた時だけに、今回は大きな刺激になった。
そして俺は何を目指すかが、また一つ明確になってきた。
成長性の無い無駄な時間は、もう私には残されていない。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 9月号

 今年の清里フィールドバレエで私達は、新しいチャレンジをしました。冠に『The』をつけ、ここだけの、この時だけの舞台を作りたい、今出来る最高の物を作り上げたいという思いで、作品も「ジゼル」一本にしぼり質を求めました。結果は・・・観ていただいた方々に評価していただきたいと思います。そして来年は25回、節目の公演になります。今から準備を進め、また一歩、前へ進みたいと思います。
 私は今萌木の村のあり方について、どうあるべきか、進化させたいと願い、改革に取り組んでいますが、【変わる】という事へのエネルギーは、なかなか大きな力が必要だという事を感じています。人は変わる事はあまる好きではないようです。私達萌木の村は41年間で、良きにつけ悪しきにつけ萌木の村らしい体質が出来てしまいました。それが時代と共に進化していく対応力を持たなければならなかったのに、いつの間にかその事を怠ってしまい、気がつくと遅れをとってしまっていた、という事になります。それでは萌木の村は続きません。
私はイチロー選手が4000本安打を打ち記録達成した時のコメントを聞いて、本当にすごいと思いました。今までにも彼の語録を読み、いつも自分に言い聞かせてきたのですが、彼の人生観、節目節目での言葉は私にとって大きな力になりました。

2013mshinbun.jpg 私は9月8日に、第三回目の震災プロジェクトとして東北へ行ってきます。
今回巨大オルゴール「ポールラッシュ」を帯同して行く予定でしたが、昨年・一昨年と二回にわたる東北への長旅の為、楽器のパイプが大きなダメージを受けていて、修復するには大手術が必要な事がわかりました。そのため今回は別のオルゴール3台を持って、バレエ団のダンサー達と行く事となりました。
8月に演奏した時に変な音が出て、初めて内部のパイプにダメージがある事が発見されました。簡単に直せると思ったのですが、それは甘い考えでした。これからも、楽器も環境も人も全て、イチローさんのように自己コントロールしなければ、と思うのですが・・・。私のような怠け者にはなかなか難しい課題です。
 秋に向かっては、山の中をくりぬいてワインセラーを掘っておりましたが、いよいよ年内に作り上げる予定で工事を再開します。でもそれは主に私の友人。足手まといの私達が人力でこつこつと毎日掘り続ける作業です。『こつこつ』といいうのが、実は最高の方法なのです。
少しずつ変化している私達に会いに来て下さい。
今、変わって行こうとしているのは、私だけではありません。
そんな人たちの応援団になって下さい。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 8月号

 私の友人でモントリオールオリンピックに馬術で出場した石黒健吉さんから7月25日朝6時に電話が入りました。こんなに早く何事だと思うと、『おめでとう、イギリス王子の名前が"ジョウジ"に決まったと、良かったな!』とのお知らせ。何か嬉しくなりました。私は"上次"という名前を親につけられました。父と母はそれぞれ大正13年、15年の生まれで、開拓・戦争と苦難の時代に生まれました。ポール先生の理想郷・清里農村センターのスタッフとして、今のキープ協会に勤めた父は農場、母は病院で働いていました。そして結婚。私が昭和24年に生まれます。「上に次いでいって欲しい」という願いから上次と名付けたと聞いています。今私は萌木の村をステップアップさせるために大きな改革に取り組んでいます。ソフトもハードも、今までの歴史の元に、そこから新しい物を生み出したいと思っています。特に、24回目を迎える清里フィールドバレエは目に見える大きな改革がきっと観た人にも分かっていただけると思います。そして今、自分ではある程度満足をしていますが、ここがゴールではない事に気付いたのです。

【上につなげる】 実はポール先生の生き方はいつでも今日より明日
【Do your best and it must be first class. 】 私の親はもしかしたら、その言葉を私に託して名前を付けてくれたのかも知れない、と思うのです。

 私達は昨年から石積みを半年以上も毎日続け、この日に間に合わす為に厳しい作業をしてきたように外からは見えるのですが、やっている私達は毎日が楽しくてしかたがない。これからもまた、秋・冬・春と、つづきの作業が始まります。終わりなき環境作り、フィールドバレエの質の向上、求め続ける生き方、こんな生き方が人生の勝利者だと思うのです。私のこの名前との出会いは、私の人生そのもの。
 今私は、毎年この地を訪れて下さる方々に、来るたびに変わらぬ清里の自然の美しさと、その自然と共生しながら未来へ財産を作っていく私達の生き様を見続けてもらいたいと思っています。
 今後の計画は、フィールドバレエが終わると薪割り、薪積み、広場の石積みのつづき、ガーデン作り、昨年掘ったワインセラーの穴堀りを今年中に完成、森への入り口の整備、森の手入れ、滝見の丘への歩道の手直し、ホテル・レストランの改装、山梨ワインを中心としたここだけのレストラン作り、ロックを夢のあるみんなのたまり場にする為のソフトとハードの向上・研修・その後に改修、そして来年8月第25回『The 清里フィールドバレエ』。
 今から私の中ではこの25回という節目の公演にこんな事をしたいというたくさんの夢を描いています。皆さんにもこんな事がという夢がありましたら教えて下さい。必ず夢は実現させると思い続けて!でも大きな夢でも一歩から丁寧に。
その事が私にとって一番楽しい事だから、そんな夢を与えてくれる清里の大地、いつかジョウジ王子もこの地を訪れてくれるような夢を持って、ステップアップさせていきます。

 P.S.  記憶に残る「The 清里フィールドバレエ」をお楽しみ下さい!
上次さんの気持ち
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『今日から清里フィールドバレエです!』(村長からのメッセージ)

清里フィールドバレエ実行委員長・舩木上次より皆様へメッセージをお送りします。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 7月号

 いよいよ今月末から清里フィールドバレエが始まります。
今回は"変わる"という思いで、昨年から準備を始めました。
何故変わらなければいけないのか。そしてどう変わらなければいけないのかが、私の中で気がつき、見えて来たように思えるのです。
私達は清里という恵まれた宝の山のような所に住み、生活してます。今回富士山が世界遺産になり、三保の松原も富士が美しく見えるという事で認められましたが、実は清里から見る富士山が一番です。正面に富士山、右手に南アルプス、左手に秩父の山々、そして振り返れば八ヶ岳。そこで私達はどう生きなければならないのか、自分が今までやってきた間違い、そんな考えが、答えが出なかった時に、ポール先生のやって来た事を私なりに見直しました。そしてやっと、先生のやろうとしていた事が見えて来たのです。
私達この地で生きて行く者にとっては、先生の目指していた目的と同じ方向で、今の時代に合った方法で一歩ずつ前へ進むことなのだと思うようになって来たのです。
その中で【バレエ】はその象徴です。
地元に住む人たちと共に、一緒に"民度"(人間そしての質、人間性の豊かさ)を上げる事が大事です。そしてここに住んでいる事に誇りを持って自立している事、美しい清里、人も自然もやっている行いも。
最近うれしい事がありました。私の友人でバレエなんか俺には関係ねえと20年前には言っていた彼が、驚く事を言いました。イギリスから来たバレエ団の公演を観る為に新国立劇場にバレエを観に行って来たと私に言ったのです。『え!おまえが?』です。そしたら何回も行っているとの事。何が変わったのか、人は良いもの、良き人、知識、美しいものに出会うと、考え方や人間性が成長するという事です。何より彼との会話が上質になりました。
人は生まれて来た時は、頭の中は真っ白です。コンピューターのハードのような物です。そこにソフトが取り入れられます。そのソフトの中に三つの大事な要素があります。

一つ 生まれた場所・育った場所
一つ 生まれた時代
一つ 出会った人

その事により、私達は目の前の問題に対処していきます。
私がフィールドバレエを何故始めたのか。ポール先生の理想を実現しようとするキープ協会という所で生まれた事。運良くその時代が清里にとって開拓の時代。ポール先生をはじめ多くの夢に向かって生きていた人たちが身近にいた事。私の中では私の目の前に判断しなければいけない問題が起きた時に、それらのソフトが稼動して答を出してくれるのです。
私がフィールドバレエで一番見てもらいたいのは、地元の子供たちです。だから私達は子供のための料金を設定しました。二千円です。バレエ公演で子供料金が設定されているのは非常に珍しいと思います。本物、美しい物、良き事、ここだけの"事"、"物"、そして子供の時からいっぱい経験してもらわないと良き人間は育ちません。
私のような決して優れていない者でも皆さんのような素敵な人との出会いにより今のような道を開いていく事が出来る訳ですから、これから私達と違い長い時間を持っている若者に、重要なソフトとしての役割になれるような事と物をやって行こうと思うのです。
ポール先生を良く知る身近な人の一人で秋吉光男さんという方が私に行った言葉があります。
「ポール先生も人間だから間違いもいっぱいした。感情的になることもあった。しかし他の人との違いは、先生は一日一回必ず十字架に向かって、今日一日の行いは神に捧げる仕事として相応しかったかと自分に問うてた事だ」と言われました。
今回のフィールドバレエ、萌木の村の生まれ変わりは私達に試練をいっぱい与えてくれています。そして乗り越えて行った時に、また私達は一つの誇りを手に入れられる。
一緒に手を取り合った仲間とも絆が生まれるのだと思います。
『会場で待っています!』
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 6月号

 いよいよ清里フィールドバレエの準備が仕上げの段階に入って来ました。今回、多くの皆さんに「何故今回はジゼル一本なのですか?」と私は聞かれます。私は今までのフィールドバレエがやってきた事は間違いなかったと思います。今までの積み重ねがったから、震災の時もポール・ラッシュ・ドリーム・プロジェクトとして東北3県をまわる事が出来ました。今年も3回目の東北ツアーを、9月9日から10日間行く事が決まりました。そしてそんな中から、私の中でどうしても新しい挑戦をしたいと思う気持ちが強くなりました。
今までのフィールドバレエは100点満点のものなのだと思います。成功していると思います。私は100点の仕事をするのはプロとして当たり前だと思います。その上の101点の仕事・101点の"バレエ"をしたい、と強く思うのです。たった1点・・・でもその1点の上積みをする為には倍のエネルギーが必要だと思います。102点にするという事は4倍、103点は8倍、104点は16倍、それだけの価値があると思います。
逆に、99点も80点も40点も0点も、それは全て同じです。"100"を超えて初めて感動を生み出す事になると思います。
一つの作品に絞り、今回は4組の主役のキャストが同じ作品で、それぞれのジゼルを演じます。英国ロイヤルバレエ団で活躍している蔵健太さんはじめ、こんなキャストが組める事自体、奇跡です。実は先日もこの主役の方々にお会いしたのですが、心に秘めたその熱い思いをひしひしと感じました。今年のバレエは、そんな緊張感のある公演になります。私はそんな事をしたかったのです。一つの作品が、踊り手によって、主役によって変わる・・・、今回は4つのジゼルがあると思って下さい。
その素晴らしい舞台を作る為に現場の私達は今まで以上に準備をしています。私達はこの挑戦が清里を変えていく第一歩だとも思っています。今年のフィールドバレエは「The」とつけました。「The」この"ザ"には、私はこういう思いを込めました。

『ここだけ、この時だけ、ここに来ていただいた方の記憶に残る事が出来る"ザ・フィールドバレエ"を作り上げたい。』

萌木の村もまた100点に向かって努力していきたいと思っています。私の思うゴールはまだまだ遥か先にありますが、今私は、何がゴールかが自分の中で見えてきたような思いがします。私がゴールに近づく事が出来るよう、これからもご指導・ご提案をあきらめず、し続けて下さい。
皆様を萌木の村でお待ちしています。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 5月号

 私は今日4月28日、萌木の村の広場の落ち葉拾いと花壇の草取りをしました。その時おばあちゃんとお母さんとお孫さん達が話している事が私に聞こえてきました。私は今ポール・スミザーさん達と、萌木の村の森と花壇の整備をしています。ここだけの素敵な場所を作りたいとの願いで毎日作業をしてきました。一言で"どんな所"と言う事は出来ないのですが。
通りかかったその家族は、おばあちゃんがお孫さんにこう話しかけていました。『ここは平和なところだね』その言葉を耳にして、私は熱いものを感じました。
今私たちがしている事はとってもシンプルな事です。原風景を作るために森に手を入れ、一本一本の木々が、山野草が、力強く生きていける景観を作るという事です。
その事が"THE" ザ・萌木の村になると思っています。
そんな思いでしている事が、"平和"という感じ方をしてもらえている事に、とってもうれしく思いました。
 今私は一緒に働く仲間に毎日言い続けています。「作業ではなく"仕事"を。萌木の村に来た事が皆様の心に残る、感動・思い出に残る、そんな仕事をしよう」と。
ポール・スミザーさんが植えた原種のチューリップが咲き始めました。彼の考えている事が見える形で現実化してきています。
森の木も、広葉樹は昨年伐採した所から新しい芽が出始めました。これを大きく育てて健康な木にしていきます。木に枯れ枝があるという事は、木が不健康だという事です。清里の自然は、いや日本中の森は密植し過ぎていて、上に上にと伸びて、弱々しくやっと生きています。もしかしたら。私たち人間も何か同じに見えます。
自然も良い環境を作るのも一緒で、私たちもこの地で素直に生きられるような考え方と行動をしていきたいと思います。その事が"ザ" "ここだけ" "この時だけ" 、そしてその感動は静かで穏やかな『平和だね』という言葉、そこに通じるものなのかも知れません。
勿論、今は生みの苦しみはあります。人は変わる事にとっても臆病です。仲間全員が私の気持ちを分かってくれている訳ではありません。私はお客様にも働く仲間にも、一歩ずつ前へ進み、その事が少しずつ分かってもらえるように努力していきますので、見守って下さい。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 4月号

 バレエ、コンサート、食べ物・飲み物、旅行、読書、等々は、物としては残りません。
特に最近思う事は、特に良い物、一流という物はやはりそれなりの価格が必要となる、という事。
ホテルにバーをオープンさせてつくづく思います。一本のウィスキーが千円位から数十万円、中には百万円を越える値段の物もあります。シングル(30cc)という一杯が、原価ですら五万六万にもなります。
そんな高いウィスキーでも飲んで下さる方がいます。お酒を飲めない私は何故そこまでの代金を払って飲むのか聞くと、「一杯のウィスキーが一生の感動として心に残る」と答が返ってきました。
人生はたった一度、私は人生の財産は「感動の量」だと思っているので、共通する事かも知れません。

 人はそれぞれ感動する物は違うが、そんな感受性の強い人たちが今、萌木の村には集まっています。
ガーデナーのポール・スミザーさん、木組みの天才・雨宮国広さん、ピアニストの平澤真希さん、成尾亜矢子さん、石積み名人の輿水章一さん、オルガンビルダーの脇田直紀さん、バーテンダーの久保田勇さん、フィールドバレエの舞台を企画する小林雅之さん。
そんな、自分自身で感動出来る物を持っている人たちがここに来て、コラボレーションする事が多くなっています。そしてお互い影響し合い始めています。また、そこから生まれる物が、他では全く無いオリジナルの「萌木の村だけの物」なのです。
 一つの例をとると、第24回の『清里フィールドバレエ』。今回のフィールドバレエは今まで23回やってきた野外バレエとは全く違う物になります。"ザ"フィールドバレエ。世界のどこにも無い野外バレエが生まれます。
初めての事というのは、コロンブスの卵のような物で、言葉で説明してもうまくお伝えする事が出来ないかも知れませんが、聞いてください。
私は"ザ"、"ここだけ"を追求する事を昨年から変え続け、スタッフ・バレエ団の皆さんに提案しました。
清里フィールドバレエは23年間、確実に成長して来ました。しかし私は、それでも何かが足りないと思っていました。それは、「野外」と「芸術」という組み合わせを、最大限生かしきれていないのではないかという、自分の中の疑問です。ポール先生がいつも私たちに言っていた"最善を尽くせ、しかも一流であれ" その言葉の意味は何だ?形に残らないフィールドバレエを私自身が、舞台に関わるスタッフが、ダンサーが、そして観ていただける皆さんが、何を宝物として残せるか。
今私たちは、それぞれの役割の中で一つの目標に向かって、第一歩をスタートさせました。
その目指す物は必然【ここだけ】。今私にはその事が見えているのですが、言葉だけではお伝えする事が出来ません。
 どうか、今年の夏を楽しみにしていて下さい。
今私たちは見える物と見えない物を一つずつ、一歩一歩、磨き上げています。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 3月号

 萌木の村は今、新しく生まれ変わろうとしています。
それは私が変わろうとしているからです。
何が大事なことで、何がこの地に求まられているかが、自分の中で理解出来始めたからだと思っています。

よく私はポール先生の意思を受け継ぎ、その後継者のように言われる事がありますが、よく考えてみると、ポール先生とその弟子の人たちが働いている環境の中で育ったというだけで、ポール先生から厳しく叱られたり指導されたりしたわけではありません。
後継者と言われる人はポール先生が認めたある意味選ばれた数人の方が、「弟子」と言われる人だと思います。一緒に働き、その中で挑戦し続けた人の事だと思います。
確かに私が物心ついた時から先生が身近におられ、私の父母をはじめ先生の考えを具現化していく。そのエネルギッシュな中に育った事は、今の私に大きな影響を与えた事は事実ですが、私が先生の強い哲学を理解していた訳ではなかった事に気づきました。
その為にこの40年間、私は遠回りをして来ました。今やっとポール先生が目指していた事が、「ああ、こういう事なのか」とわかって来たような気がします。
ポール先生には、先生の意思を引き継ぐ人たちが何人かおりましたが、この地を離れ先生の意思を別の形で伝えた人たちがいました。しかし清里では、この地のリーダーにならなければならない人が、先生より先に亡くなられた事が続きました。その事がこの地にとって大きな試練だったと私は思います。
私は今、自分に残された時間をより具体的に、私の出来る範囲で実践していこうと思っております。この事は、先生だったらどうしただろうか?どう考えたのだろうか?そんな思いで、今は一日一日を過ごしております。
しかし急激な変化は無理がある事も知りました。ポール・スミザーさんと一緒に萌木の村の環境作りを始めていますが、彼がこう言うのです。「この場所をいっぺんに変えたら管理が追いつかない。山野草が咲き素敵な景観を作るのには、丁寧に、管理ができる範囲で。例えると生まれた赤ちゃんが育っていくように、最初は丁寧に育てていかなければ」と。
萌木の村が山野草の中にうもれた環境は5年後出来上がります。
人づくりも時間を必要としています。
そのゴールに向かって、私たちは今を生きています。
そんな私たちを見に来て下さい。
第24回を迎えるフィールドバレエも、今までの23回続けてきたスタイルから大きく変わろうとしています。"The"フィールドバレエに生まれ変わります。"ザ"という事にこだわっています。全てここだけにこだわりたいと思っております。
追求する事によりおこる色々な摩擦。人は安定すると変わる事への勇気を失う場合があります。ポール先生が常に挑戦し続けたように私は生きたいと思うのです。その事が未来の財産となる。今、考える事ややる事が今日の為ではなく、明日の希望につながる為だと思います。

今年は寒く雪の多い日が続きましたが、花壇の石積みは進み、形が見えてきました。開拓者の先人の人たちが冬の間に春を待ち準備しているあの頃の姿が、やってみて分かってきました。寒い中での作業はとっても辛い事に見えるようですが、やっている私たちは面白くて仕方ありません。
清里のポール先生をはじめとする開拓者の輝きを、私たちも皆さんに伝えたいと思う今日です。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 2月号

 今まで何年も時間と手間をかけて作ってきた萌木の村の中のキッチンガーデンをすべて作り直しています。私は、1月は時間が許す限り昼間は現場の責任者の輿水章一さんと一緒に今は新しい萌木の村の顔になるガーデンの為の石積みをしています。昔の人は本当にすごいなと思います。今の時代はエアーハンマ、ユンボ、トラック、ハンマードリル等々機械と道具が有ります。それらを使っても石積みは大変な作業です。それをそんな便利な物のない時代にどうして作れたのか、本当に先人達は知恵や技術がすごかったのだと思います。人間は決して進化などしているとは思えません。昔持っていた能力は時代が進むと同時に失われたり、衰えているのではないでしょうか。
 何故やり直しをしているのかということですが、100年後にも美しい自然景観を作る為に、一からやり直しているのです。基本的なガーデン作りの基礎知識が不足していた為、中途半端な事をしてきていました。中途半端ではなく必然の庭づくりをしたいのです。実は私の子供の頃(今から50年前)、清里の美しさは本当にすばらしかったのです。山は手入れがゆきとどき、山野草が咲き乱れ、清泉寮の回りはすずらんが群生していました。すずらんの咲く季節にはちょっと採りに行くだけでバケツいっぱいになりました。それが今はまったくありません。それは木が育ちすぎ、手入れをしない為、条件が変わってしまったからです。
 石積みをして思うのですが、根石といって一番下に基礎として積む石がしっかり置かれていないと、積み上げていった時しっかり積めません。きっと何でもベースになる所が一番大事だと思います。そこの考え方がはっきりしていなければ、何をやっても中途半端になってしまいます。けっこう重労働ですが、不思議にその仕事はおもしろくて毎日現場に行く事が楽しくてしかたありません。
 夜になると、ホテルの改装したバーに酒も飲めない私ですが、良く足を運びます。ウイスキー、シングルモルトの事など勉強しています。お酒を飲める人は本当に幸せですね!私はまったく飲めないので、ビールの時もそうですが、飲めないのによくやるわと言われますが、ウイスキーのことを勉強する事は楽しくて仕方ありません。ほんの少しウイスキーの事が解ってきました。そしてポール・スミザーさんと出会ったり、バーテンダーの久保田君と出会ったり、オルゴール館のピアニストの方とかそれぞれ一芸に抜きん出た力を持っている方々です。そういう方々とチームを組み、仕事を進めるという事は毎日が勉強と感動の日々です。そしてその方々と私達で新しい清里の目指すべき方向のモデルに萌木の村がなりたいと思っています。その為には、そんな夢を一緒に追い続けるチームを作りたいと思っています。私が今必要としている人は、ワインのソムリエ。それも地元八ヶ岳・山梨のワインについてはその人しかいないというようなローカルではあるが、プロフェッショナル。するとその事がグローバルにつながると思うのです。

 私達は今、新しい提案を、しっかりした哲学を、石積みの根石のように持ち、その上に感動の物と事を作り出していきたいのです。萌木の村は今、工事中です。私を含め、スタッフも工事中です。生れ変わるという事は、勇気が必要です。
 今年は巳年。私が子供の頃、牧草畑の中でヘビの抜け殻をみました。新しく生れ変わるという挑戦は、その先の夢を想像して生きる事だと思います。 
上次さんの気持ち
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