萌木の村 村民かわら版

八ヶ岳・清里高原「萌木の村」のスタッフが綴る季節ごとの村の表情や、個性あふれる各店舗のあれこれです。
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マンスリー上次さん 6月号

joji.jpg 私たちは今回の大震災で被災され避難所で苦しんでいる方々にほんのひと時でも楽しんでもらいたいと、「ポール・ラッシュ ドリームプロジェクト」という企画を立ち上げました。大きな自動演奏楽器でバレエ音楽を演奏し、バレエダンサーがそれに合わせて踊るミニバレエ公演を東北地方の20か所以上で上演する企画です。私がこの企画を思い立ったのは4月4日のことです。それまで私は清里の若者たちが震災後すぐに飛び出していく姿を見ていました。フィールドバレエを手伝ってくれている大工さんたちも大工道具を持って被災地を訪れていました。そして私たちに熱く現状を話してくれました。地震と津波の直後はいたるところで孤立した状態が起こりました。電気も電話も通じない状態です。そして非常に寒い季節でした。すべてを流された人々は近くの高台で余震と暗闇におびえながら数日を過ごしました。その時は水やおにぎりが必要でした。そして、時間と共に必要なものが変わってきたのです。毛布や食料が行き届くようになると嗜好品が欲しくなります。そして今は心のケアが必要になってきているのです。これは現地の友人が教えてくれたことです。この友人の話を聞いたとき、今自分がやるべきことはこれしかないと思いバレエシャンブルウェストの今村先生に電話をかけました。先生方はこんな非常事態の時に自分たちがしてきたことがお役に立つのであればこんな嬉しいことはないと言ってくださいました。計画は4トントラックに自動演奏オルガン「ポール・ラッシュ」を載せ、2トントラックに舞台道具を積み、ワゴン車で人を運ぶというものです。また、上演場所については私の多くの知人に声をかけて協力を仰ぎました。すると皆さん迅速に協力してくださりスケジュールはすぐ一杯になりました。そして避難所のリーダーの方への連絡・許可、所有者への承諾、場所確保、宿泊、食事手配などはスタッフが見事に対応してくれました。そして5月11日に清里を出発し、岩手県宮古市に入りその後宮城県、福島県と移動しております。ステージを見て下さった多くの方に何かを手渡す事ができたと思っています。

そして、このツアーはまだ終わっていませんが、私はこんなことを感じました。今回の災害で東北の方々は多くの物を失ってしまいました。私達が想像する以上の大きな、たくさんの、重みのある “もの”を失ったのです。一人一人それぞれ違う、それぞれに大切なものです。でも(私はこんな時にこんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが)被災された方々はとても大きな物を手に入れていると思うのです。きっと今は気づかないかもしれません。それは見えないものです。思いやり、助け合い、命の大切さ、感謝の気持ち、苦難に立ち向かう力強い心といったものです。そして今世界で一番大切なこと、必要なものがまさにこのような心なのです。このような心が個人の哲学とか価値観を形成するからです。小学校でのバレエ公演は皆明るくて、どこにでもある風景でした。しかし生徒たちは友達や親や兄弟を亡くした子もいました。普通に拍手をして笑顔を見せてくれますが、心の中は尋常ではないはずです。私は思うのです。こんな経験をした子供たちの中から、将来日本を背負って立つリーダーが生まれるのだと。

私たちは戦後、平和ボケして自分の事しか考えず、経済的な物差しでしか考えなくなってしまいました。今回のツアーの中できのみ、きのままで逃げて助かったというおばあちゃんに話を聞きました。一回目の津波が来たときはまだ家は壊されていなかったそうです。「津波は一回では終わらない、二度三度と押し寄せるので絶対海に近づいてはいけない」という昔からの言い伝えがあるそうです。おばあちゃんは津波を恐れて家には近づかなかったのです。でも、その時にお金とか大切なものを取りに家に帰った人は第二波にのまれてしまったそうです。何より大切な物は命であって、お金や物ではないはずです。平和に慣れすぎて命を奪われる危険性を感じ取れなかったのかもしれません。また、住んではいけないと言われた所に経済的にメリットがあるというだけで施設を作り、そして今回の津波ですべてを失ったという場所もありました。我々は今回の災害から多くの事を学ばなくてはいけません。これだけの犠牲を出したわけですから。皆のしてきたことが間違っていたわけですから。

これからの我々は日本人として新しい共通の価値観を持つべきでしょう。ただし、それぞれの地域ならではの価値観を持つべきです。清里にはポール・ラッシュ先生が残してくれた言葉がいっぱいあります。そこにこれから私たちが生きていくうえで重要な考え方が隠されているように思います。ポール・ラッシュ ドリームプロジェクトは6月4日まで続けられ、宮城県、福島県と回っていきます。多くの人と語り、あらゆる方向から物事を見つめられ、そして考え方が決してぶれない人間になる事が、地域に対しても会社に対しても、そして日本に対しても私の責任だと思います。

※私が価値観と頻繁に使いますが、一言でいいますと、一番大切な物から始まります。それは見えるものと見えないものがあります。人生の中で人はそれぞれの時に判断します。YESかNOか、前進かストップか、自分の価値がはっきりしている人は迷いません。迷うという事は相対する考え方がない時に惑うわけです。地域にはその地域内で共通の価値感がなければいけません。日本人には日本人としての共通の価値観がなければならないと思うのです。一人の人間の中には自分としての価値観、家族としての価値観、会社としての価値観、地域としての価値観、日本人としての価値観があります。そしてそれぞれの価値観を感じながら自分の中でバランスをとって物事を判断していくことだと私は考えます。そこには義務も責任もあります。そのことを守った人に自由が権利として与えられるのだと思います。山梨では、と考えると、きれいな水、自然景観、素敵な田舎感という共通の価値観だと思うのです。これらのものを失うことなく、少しずつ進化させていくことが大切なことではないでしょうか。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 5月号

joji.jpg 私達は5月11日から「ポール・ラッシュ ドリームプロジェクト(P・R・D・P)」と名付けたプロジェクトを敢行します。そのプロジェクトとは、過日の震災で多くのものを失った方々の所に行き、少しでも希望が持てる力になれればと考え、萌木の村で所蔵する一番大きな自動楽器“ポール・ラッシュ”を持って岩手・宮城・福島の20カ所を回るのです。

被災した方々の力になりたいと思い始めたのは、清里の若者たちで構成するグループ“チーム清里”やフィールドバレエの裏方として携わる大工さんたちが震災直後から現地に入りボランティア活動を始めていたのです。そんな彼らの熱い思いとエネルギーに「私も何かしたい」という思いに駆られたのです。そんな思いを胸に秘め過ごしていた4月4日、オルゴールを被災者の方々に聞いてもらおうと思い立ったのです!

私達は21年間、野外でバレエ公演を行っています。21年間、自然から与えられる様々な試練を乗り越え、鍛えられてきています。この試練を共に乗り越えてきた仲間たちに、私の案を相談してみました。バレエ団の今村先生は「小さなフィールドバレエをやりましょう!」と快諾して下さいました。

発電機と共に“ポール・ラッシュ”を4tトラックに積み込んだ状態での演奏。これは初めての経験です。脇田直紀さんと名取淳一さんが準備に入ってくれました。
舞台はトラックの前に作るのですが、これは先崎豊さんにお願い致しました。彼は長くフィールバレエを支えてくれている大工さん。実はフィールドバレエだけでなく、シャンブルウェストの海外公演に同行し、舞台を作るプロフェッショナルなのです。彼が仲間とチームを作り現地での舞台を考案。その舞台も出来上りました。20回ともそれぞれの場所で組み立てては解体をくり返す・・・。こんな大仕事を彼は団長として引き受けてくれました。
山梨県庁東京事務所の仲田道弘さんとかがり火の編集長の菅原歓一さんには企画・調整をお願い致しました。このP・R・D・Pは当初私が考えた以上に大きく、充実したものになってきました。

ソフトとハードは出来とりつつあります。本来運営費も私が持っていて“どんと”出せれば良いのですが、私共の萌木の村も厳しい現実の中でもがいています。今そんな時ではないだろうとお叱りを受ける時もあります。今、私たちが出来ることは何か、この時に動かなければと私は思うのです。

私にはフィールドバレエを一緒にやってきた絆のある仲間の方々がいます。この計画を話したら、それは良いと力を貸して下さり、私たちを支えてくれました。

その中の一人の方がこの文章を添えて、私の肩を押して下さいました。

・30年近く前に亡くなった親父は、亡くなる10年程前まで、宮古や岩泉を拠点に行商をしていた。
・母は先月、東日本大震災の7日後、93歳で亡くなった。
・親父にとってはもちろん、私たち家族にとって岩手県は特別の地。
・母の霊前に頂いたご厚志の一部を 両親の思いと共にこのプロジェクトに託す。
・このプロジェクトによって、たとえ一時でも、被災地の皆様の心が癒されたとしたらこの上ない喜び。
・遠く山梨の地から、皆様の生活が1日でも早く、平穏な生活に戻られることを心からお祈りしている。

又、私の住んでいるこの地域は開拓の地です。その仲間がすべてを知っています。80歳を超えた先輩達が清里に入植したあの時と、被災された皆さんの町がだぶると言うのです。小さなほったて小屋で協同生活をしながら、人力で松の大木とくま笹と戦い、畑を作っていたあの時と。

…ジョウジ私たちを代表として行って来いと、足りないかもしれませんが、活動の足しにしてほしいと、私に大きな支援をしてくれたのです。
私はその夜、涙が止まりませんでした。清里に生かされて良かった、素晴らしい故郷そして、素晴らしい山梨の仲間、そして萌木の村のスタッフたち。私がみんなには迷惑をかけないと言っていたのに、計画が進むにつれ、多くの仕事を受け持ってくれて、プロジェクトの裏方の役割になってくれています。そして一緒の仲間になってくれています。本当にありがとう!

みんなに感謝。
この気持ちをもって、私たちは東北に行ってきます。


http://www.youtube.com/watch?v=bhGwatT7Qm8
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 4月号

joji.jpg 巨大地震・原発事故。今までも多くの問題を抱えていた私達のふるさと・清里高原は、今もっとも大きな試練を正面から受け止めなければならない時に立たされています。
被災に遭った人々、そこに関わっている多くの人々は、今の当面の問題を解決していかなければならないでしょう。では、私達はどう思い、行動したら良いのでしょう。そんな事に悩み、考えていた時に、ルドルフ・ジュリアー二 元ニューヨーク市長(1994年1 月~2001 年12 月)の言葉に出会いました。

「救援・復興活動が第一優先だが、それに携わらない残りの人々は、今までどおり、いや、今まで以上に楽しんで仕事をし、遊んで欲しい。楽しむ、遊ぶ、とは、出社前にはコーヒーを飲み、今まで以上に勤勉に働き、仕事が終わったら食事や酒を楽しむということだ。また、買いたい物を我慢している人は、今こそ、それを買う時だ。こうした経済活動や商業活動を維持することこそが、卑劣なテロに対する最大の対抗手段である。安易な自粛モードは、NY の活性化を妨げ、経済の低下を招き、結果、復興支援にお金が回らなくなるなどテロの2次被害を招く。だからこそもう一度言いたい。みなさんには今まで以上に楽しんで仕事をし、遊んで欲しい」

この言葉に出会い私は、このような考え方の元にこれからの行動を起こしていこうと思いました。実は今年夏のフィールドバレエの開催についてやるべきか、止めるべきか、そして停電の問題、舞台を作る資材の問題等が先日も私のところに報告されました。これらの事は氷山の一角です。今回を乗り越え、実現する為には、大きなエネルギーが必要だと思います。ルドルフ・ジュリアー二の言葉と出会い、私は今年こそ、災害被災者の方々の為にも、そして夢と希望を持っていただく為にも、仲間達と共に今年のフィールドバレエを成功させなければならないと思います。皆さんもそれぞれの所でこんな時だからこそ笑顔いっぱいで、そのエネルギーを私に送って下さい!これからも皆さんとの絆をしっかり結び、皆さんの期待に応えていきたいと思います。私達が悩んでいる時にも自然の木々や広場の芝はしっかり芽吹きをして準備を始めてくれておりました。私に、一緒に頑張ろうとエールを送ってくれておりました。

清里若者達のグループ「チーム清里」の活動も見てあげて下さい。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 3月号

joji.jpg 今年は雪の少ない冬だと思っていたら、先週二度に渡り大雪が降りました。あまりにも乾燥が続き、萌木の村広場の芝が枯れていき、心配していた時だけに恵の大雪でした。私たちのように自然と共に生きる場所に住む者にとって、いつもと違うという事にはすぐ敏感になります。変化には二つあると思います。一つは毎年十人ずつ変化していく現象と、もう一つは突然今まで全くなかった事が起きる事です。昨年、萌木の村広場の芝の中に、私が名も知らない雑草が異常繁殖しました。こんな事は初めてでした。どうやってそれを駆除すれば良いかわかりません。自然の中で住むという事は、それらの現象に正面から受け止め、生きていかなければなりません。今の世の中が多くの別の問題で混沌しています。その事も確かに大きな問題ですが、私たちのもっと基本的な問題のほうがはるかに大切なのに、その事を考えずに一日一日過ごしてしまうと、そのつけは大きな負債として残ってしまうのではないかと思うのは私だけでしょうか。「この清里とはいったい何なんだ?何の役割があるんだ?迷うな、迷うな」断固たる価値を今、文章にして皆が共有すべき時だと思います。
最近私は、この清里の歴史の中で住人が一番輝いていたのは、いつだったのかと考える事があるのです。戦後の開拓時代みんな苦しかったが、お互いに助け合い、夢と希望を追いかけていたあの時代の人達が一番輝いていたのではないかと思うのです。私はその理由として、恐らくその時の価値観と今の時代の価値観の違いではないかと思うのです。開拓して畑を作る事、種をまき作付けする事、すべて準備から始まるのです。この準備という事はすごく大事で、それこそ収穫の時の喜びを創造するのではないかと思うのです。今の時代もすべて同じだと思うのですが、多くの事が分業化、効率化してしまい、見えないことが多くなってしまったのではないかと思います。私は田舎で住むことは、決して効率化を求めるのではなく、別の方法を探るべきだと思います。こんな事を考える今日この頃!
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 2月号

joji.jpg いま萌木の村は、一人の清里出身の若者・浅川智仁さんと一緒に研修会をスタートさせました。

 私は35才の時、自分が育った清里農村センター(現在のKEEP協会)の事で、時のリーダーの方に「ポール先生の“志”と違う方向に進んでいる」と苦言を言ったことがあります。その時、逆にその方に言われました。「強い個性を持ったワンマンリーダーが引っぱってきた組織は、そのリーダーに頼りすぎて、次のリーダーが育たないことが多い。あなたもそうならないように気をつけなさい」と。いま、その言葉が身にしみます。 

萌木の村は私が23歳の時、小さなお店「ロック」が出発点です。世の中のルールも知らずガムシャラに朝から晩まで働きました。そして少しづつお客様が増え一緒に働いてくれる仲間も増えました。私もスタッフもよく働き、その日その日は充実していました。みんなのパワーが結集しお店は個人から会社へと育ちました。しかし、スタッフも現場主義で経営とか経理は結果オーライ。自分の身の回りしか見えなかったでしょう。そして引っぱってきた私はパイオニアとしての実績が回りから認められるので、実力がついたと自分自身が過信してしまいました。また、私についてきた幹部スタッフは真面目で一生懸命やる人達が残ってくれたのですが、社長の私がマネージメントの勉強などしていないわけですから、会計は地元の会計士の先生にまかせっきり、経営を数字として分析することもなく、勘でやっておりました。一緒に働いてくれているスタッフだって私がそうなのですから、私を見てこれが経営なんだと思ってしまったと思います。組織が大きくなり、私たちもそれなりに育たなければいけなかったのですが、マネジメントという点ではほとんど成長しておりませんでした。

何故現在、清里が厳しい状況をむかえているのか、何故 萌木の村が今生まれ変わらなければならないのか、それは次の世代を育ててこなかったからだと私は反省しています。私は40年も先頭に立ち、弟を始め仲間のスタッフはずっと私の夢を実現する為に行動してきました。私の出す指示の中には納得できない、理解できない事や物もあるでしょう。その時は小さな不満でも、30年も40年もコツコツと貯まればスタッフの心の中の不満のコップは満杯です。あと一滴ですべてがこぼれてしまう。松下幸之助さんやソニーの盛田昭夫さんのような完璧に近い人はほんの少しはいるでしょうが、多くは私のような凡人です。夢や理想と現実が異なる場合には妥協していく訳です。その食い違いを自分ですら納得するのに苦しむ訳ですから、一緒に仕事をしてくれている仲間はもっと納得できないでしょう。大きな組織だってそのような問題は無い訳ではありませんが、人事異動というガス抜きがあり、また経営学を学んだ人事管理のできる人が対応し、人間関係を「ゴハサンに願いましては」と振り出しに戻す事ができるのでしょう。また萌木の村のような中小企業は何々研究所とか何々コンサルタントとかから経営指導を受け打開しようとしますが、ワンマンで40年も続けて来た私共のような組織には欠点、弱点も有りますが、その反面大きな会社や組織に負けない独特な宝物がいっぱいあるのです。一般的なビジネスモデルとは違うために、人の輪・歴史・地域性などを活かし、一段高いところへステップアップさせるのは至難の業なのです。何代もつづいている老舗といわれているような企業は、次のトップになる後継者を育てます。たとえば地方のホテルは東京のホテル オークラで。代々お客様に喜ばれている小さな旅館は金沢の加賀屋さんで勉強させる、という具合に、次にたすきを渡す準備をしています。清里は開拓70年の歴史、私達の先輩の中にも経営者としての知識を持った方は思い当たりません。私が見てきた先輩達はみな現場で汗を流している人達ばかりでした。私はその事が決して悪いと言っているのではありません。汗して労働する事はすばらしい事ですし、人のお役にたてることは素晴らしいことです。萌木の村の中にもそんなスタッフが何人かいます。私はいつも頭が下ります。その人達がむくわれる為にも“志”高くこの歴史を生かしてマネジメントできるリーダーを育てる必要があるのです。 

私が萌木の村を新しく生まれ変わらせたいのはこのような理由からです。若いスタッフがこの萌木の村で何のために働くのか、同世代で故郷「清里」を愛する浅川智仁さんと一緒に厚く語り合ってほしいのです。私も少しでも変わりたいと思いますし、今の私の役割は何なのかを探すためにも一緒に語り合いあいます。まずは人間力アップ! ポール先生がKEEPを支えてくれる人や訪ねて下さる人に心から感謝したあの気持ち。その人達にいつも先生が伝えた「Do Your Best and it must be First class!」。First classを勝ち取るために必要な技術や知識を研修し学ぶ集団でありたいのです。萌木の村の若者達が新しいイノベーションを起こす時を私は楽しみにしています。

平成23年2月1日
萌木の村村長 舩木上次
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 1月号

joji2011newyear.jpg明けましておめでとうございます。

昨年も皆様には大変お世話になりました。
新しい萌木の村、新しい自分。今年は自分づくりの教育の年とさせていただきたいと思っております。萌木の村は創立して、おかげさまで40年経ちました。この長い年月に作られた悪しき伝統。その悪しき部分を考え直す年にしたいのです。もちろん良い伝統もあります。しかし、生まれ変わるために私たちは「徹底的にやる!」という希望に燃えています。

昨年の10月、一人の若者がジャパンタイムの“アジアで活躍する次世代を担う100人”に選ばれました。浅川智仁さん(33歳)、この清里出身の若者です。彼は大学を卒業後、家業(清里駅前で営業していたスーパーマーケット)を手伝います。しかし清里の衰退と共に経営が成り立たず、一から出直すために東京に旅立ちます。東京で修業を積み、昨年独立。ライフデザインパートナーという会社を立ち上げました。清里を愛し、心配し続けて今日まで彼は努力してきました。
私はそんな彼の人柄を信頼し、自分が今苦しんでいる事、悩んでいる事を打ち明けました。私の次男と同じ年ですが、実力は私をはるかに超えています。彼は苦難を乗り越えるたびに一回りも二回りも大きくなり、さらにその苦難を楽しみながら自らを鍛えてきたようです。

その彼が萌木の村の社内研修をしてくれる事になりました。この研修がきっかけで萌木の村が活気づき元気になる。そして彼のふる里でもあるここ清里がまた魅力的な町になる。私と萌木の村をオーバーホールする事になったのです。

何事も“人”の力。一人一人が輝き、甲子園を目指すあの高校生のような純粋な気持ちになれるような萌木の村づくりをしようと思っています。「すべての試練が今の自分を作ってくれた。」と彼は言います。私たちも今の試練を乗り越えて、皆様に新たな感動をお伝えする事ができるような萌木の村を作ります。

萌木の村は、支えて下さる皆様とここに生きる物と共に生き続けます。
これからも応援よろしくお願いいたします。


平成23年元旦

萌木の村村長
舩木上次
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 12月号

joji.jpg 先日、外国からのお客様が萌木の村に来て下さり、村内を御案内した。滝見の丘から見る景観は木々の葉が落ち、また別の顔を私にも見せてくれた。そしてオルゴール館に行き、久々に演奏しながら説明をさせてもらった自動演奏楽器には1台1台この博物館に来るまでの歴史がある。出会ってから私の手元に来るまでだけでも、多くの物語がある。オルゴールにまつわる人、演奏しながらその人たちのことを思い出した。
本当に多くの人達と出会った。
そして多くの事を教えてもらった今も縁が続いている人、途絶えてしまった人。
でも、その一人一人が頭に浮かんでくる。今どうしているのか、人生っていったい何人に出会うのでしょうか? そして、自分の記憶に残っている人は何人いるのでしょうか?この人との出会い、縁が人生の宝物なのだとオルゴールの音色を聴きながらそんな事を考えていました。
1台のオルゴール、時代を生き残ってそして未来にはまた別の人によって守られていくこの物達、‘人・物・事‘
この人がもっていてふさわしいのか、この物がこのように扱われていて良いのか、こんな事に使われてよいのか、お客様に聴いて観てもらいながら私のこれからの仕事は、人・物・事のハーモニーを作る事、そしてすべてが輝いく。
そこから生まれる感動のレベルを上げる事が一番大事だと思いました。
本当に素敵な清里を作りたいと思う今日、その為には私自身が物事に負けない自分作りをする事が大切と新たに思いました。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 11月号

ある一人の友人からこんな葉書をいただきました。

一筆啓上
ホトトギス 自由自在に聞く里は
酒屋へ3里 豆腐屋に2里
山里で「白鳥の湖」
砂漠に種を蒔くようなもの
しかし狂気の沙汰も20年も続けると正気の沙汰
感動 感激の一夜
感謝 感謝 感謝
商人はお金の損得を、政治家は選挙の損得を行動の判断基準にする
この基準に当てはまらないあなたは何者なのか
口も悪い、態度も悪い
そうだ、きっとあなたは少年のような純真な心の持ち主だからに違いない
草々


61才 舩木上次
私は口が悪いのだろうか、態度も悪いのか。
そんな私が純真な心を持っているのだろうか。
そしてそんな人間が社長として会社のトップにいて良いのだろうか。

また、別の友人がこうも言ってくれました。
「ここまで好き勝手に夢を追ってきたのだから、このままずっと突っ走れ。
後の事など考えるな、その時はその時!」

私を見守ってくれている方々は、私のこの波乱万丈な生き方をハラハラドキドキしながら、まるで舞台を観るように楽しみ、時には心配して下さっているのかなとも思うようになりました。それなら皆さんに期待していただけるように、一生懸命やらなければいけないのだと今感じているところです。

joji.jpg思い返してみると私にも気になる友人が何人かいることに気が付きました。
その友人が今何をしているか、今何を考えているのかいつも気になるのです。そしてその友人達から大きなエネルギーと勇気をもらっているのです。

私を見守って下さる方々に、私も生きる力と勇気を与えられるような生き方をしたいと思う今日この頃です。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 10月号(本)

joji.jpg今月のマンスリー上次さんは遅くなり申し訳ありませんでした。木内さんにピンチヒッターをお願いし萌木の村の近況を載せさせてもらいました。本日入稿いたします。

先日テレビを見ていたら、メジャーリーグの審判を目指す日本人のドキュメンタリー番組を放送していました。番組の内容に、23才でオープンしたロックという店をスタートに、プレイヤーとして歩いたり走ったり、時には立ち止まり今日までやってきた自分と重なる部分が多く有り感動しました。
メジャーリーグの審判とは決して黒子ではなく、ゲームを作り上げる立役者だということ。ストライク、ボール、アウト、セーフ。それぞれの判断が正確であり、選手から絶対の信頼を得られなければ下した判定にクレームがつき試合が台無しになってしまう。ジャッジは絶対の自信と毅然とした態度で臨まなければ認められず、一歩も前へ進めない。44才の彼はまた一年間3Aの審判を経験し、メジャーリーグから呼ばれるまで挑戦を続けるとのこと。
夢を追う彼の姿を見ていて私自身の甘さを強く反省させられました。会社経営における日々の判断を人に任せたり、逃げたりしていたのではないだろうか。きわどいコース、判断の難しいタイミング、審判はどっちつかずという判定は下せません。間髪をいれず何かしらの判断をしなければなりません。ほんの少し迷い遅れただけで抗議がおき、厳しい批判が起こるでしょう。選手から“彼の判定だったら間違いない”というような信頼を得られるような判断力を持っていなかった自分が恥ずかしい。今からその力を身につける為に自分磨きをしなければならないと強く感じました。夢を追い続ける彼の姿は、将来メジャーリーグの審判になれなくても夢を追い続けたという事に私は拍手を送りたい。何よりも私達に夢を追う事の素晴らしさを教えてくれた事に大きな価値があるのではないでしょうか。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 10月号

 暑かった夏が過ぎ、こちら八ヶ岳は朝晩気持ちのいい気候となり、あちらこちらで紅葉も始まっています。
みなさんお変わりないですか?
村長が出張中のため、萌木の村の木内が近況をお知らせいたします。
今年の秋も八ヶ岳のイベントが始まっています。
それに何といっても今月は、TRICK OR TREAT・・・ハロウィーンマンスです!
あちこちのお店の前にかわいく飾られたオレンジのかぼちゃたちが笑顔で皆様のお越しをお待ちしております。

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 ちょっとイベントのご紹介をいたしますね・・・
先週は、第2回グランフォンド八ヶ岳に晴天の空の下、1700名ものサイクリストの方々が120kmの山岳コースを駆け抜けていきました。ロングコースばかりでなく、食べたり遊んだりのコースもありますので、来年はチャレンジされてみてはいかがですか?
今週からもイベントは続きますので、ぜひ八ヶ岳にお越しください!
まず今週は野辺山の滝沢牧場で牧場祭、来週は清泉寮のカンティフェア。カンティフェアにはROCKもブースを出しますよ。ぜひのぞいてみてください。
ここでちょっとカンティフェアのお話・・・
カンティフェア(カンティ=郡、フェア=お祭り)は古くからアメリカで広く行われている収穫感謝祭です。清里の父、ポール・ラッシュ博士によって始められた感謝祭が今も続いているのです。
そして23・24日は我ら萌木の村で「私のカントリーフェスタ」です。
「私のカントリーフェスタ」には今年もたくさんの出店をいただき、萌木の村の広場にもにぎやかな週末がやってきます。また萌木の村もお店を出しますので、皆様どうぞ秋の一日を清里に遊びにいらしてください。お待ちしております。

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上次さんの気持ち
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