今年も萌木の村の石積みの作業が始まりました。4年目を迎える庭づくりですが、この環境整備は今後3年・5年・・・と続けていく予定です。そしてその進行と合わせて清里復活のプログラムも進めていこうと考えております。
残念なことに最近「清里は清泉寮と萌木の村だけになってしまった」と言われるようになってしまいました。しかし、そんな清里で将来の夢を持って頑張る若い有望な人財が芽吹き始めているのです。彼らのためにも、開拓者の先輩たちが残してくれた財産を大切に保ちながら、少しずつ手を加えてもっと素晴らしい所に仕上げていかなければいけません。そのためにはこの清里では何をしていかなければならないのか、考えてみましょう。
現実は高齢化と少子化問題が日本全国どこでも進行中です。私はホテルのバーのウィスキーの古酒を求めて長野・群馬・埼玉・山梨の酒屋さんを回ってきましたが、どこの市や町でも商店街はシャッター通りで、酒屋さんの8~9割は店を閉じています。歩けば歩くほどその現状は厳しいものがあります。地域内で経済的に自立することは至難の業です。地域外とつながりを持たない限り、限界集落となり、最後は消えてしまう運命です。その現実を日本のリーダーたちは本当にわかっているのでしょうか?!私から見ると甚だ疑問です。人間は五感で現実を感じ取り、それを知識と経験で理論的に裏付けして、そこから新しいイノベーション(新しい価値)を生み出していくのです。人は価値を求めます。私はこの新しい価値を生み出した所だけが生き残ることができるのだと信じています。その価値が生み出された場所に人は集まり交流がおこります。私達は新しい時代の新しい考え方で“風”を作っていきます。風景、風味、風習、風土、そして風格を!
一見新しい考え方と思えますが、実は開拓時代の先輩たちの哲学と同じのです。もちろん時代が違いますので手法は違いますが基本は同じです。特に清里はポール・ラッシュ先生が作り上げたKEEP協会があります。清里・エジュケイショナル・エクスペリメント・プロジェクト、その考え方はまさに新しい時代の風でした。そこには多くの人々が学びのため・癒しのため・それぞれの目的で集まってきました。我々は二度目の開拓者になり、新しい“わーっ”という感動を作り上げ交流人口を増やし、清里を他にはないここだけの場所に仕上げていこうと思っています。そして、都会の若者だけが集まるのではなく、地方の若者の生き方のモデルになり、自然豊かで都会より素晴らしいと思われるようなハード・ソフトを作り上げていきます。
今の私達は「産みの苦しみ」の作業を続けていますが、将来の「完成」を想像するだけで一日一日がワクワク・ニヤニヤです。人生は一度きりです。夢を追い続けることがどんなに大きな財産であるかを皆様にも知っていただきたいと思います。この3年間の変化は一歩ずつ少しずつでしたが、3年の月日の中で山野草は根付き昨年から大きく育ってきました。今年の夏には大きく変化した萌木の村がお楽しみいただけると思います。その変化とともに萌木の村で働く若者達も夢を追い始めました。世の中の流れがどうであれ、萌木の村は正面を見据えて生きていきます