萌木の村 村民かわら版

八ヶ岳・清里高原「萌木の村」のスタッフが綴る季節ごとの村の表情や、個性あふれる各店舗のあれこれです。
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マンスリー上次さん 5月号 号外

 私の植えた山野草がまたまたポール・スミザーさんに植え変えられました。

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 萌木の村広場の石積みが進み、新たに山野草を植える場所が増えました。そこにポール・スミザーさんが株分けした物や種から育てた苗を植えていくのです。私のお世話になった友人で今は80歳になる富士見町の造園家・小池さんという方がいます。萌木の村の中にハルニレ、コブシなどの大きな木を植えてくれた私の恩人です。小池さんが広場の環境整備のお手伝いしたいということで山野草の苗を持ってきてくれました。私はなるべく早くポットから植え変えてあげた方が良いと思いました。しかし、ポール・スミザーさんは忙しい人ですから、待っていてはいけないと思い、自分でスミザーさんのまねをして空いているスペースに植え込みました。しかし、同じようにやっているのに全然素敵にならないのです。スミザーさんと作業を始めてすでに4年目を迎えますから、だいぶ技術はぬすんだつもりですが、何かが違うのです。そうこうしているうちにスミザーさんが新しい苗を持ってやってきました。そして作業を始め一言「又変な人がおかしな所に植えている」。私は今度こそお手伝いできただろうと思っていたのに、またまた全部抜かれて植え直しです。「この花はここじゃないよ」、「ここに植えたらかわいそうだよ」、「これは山の中だな」、「最近は変なおじさん(私の事)は気持ちだけはあるから許すけど」と言って笑います。植え直した後、不思議なことに本当に素敵に見えるのです。同じ山野草なのに、植え変えただけなのに、生き生きとしてくるのです。彼はよく「ここに植えたらかわいそうじゃない」と言います。一つ一つの植物には植えられるそれぞれの場所があるようです。

 私のやっている植え方は、多分こういうことだと思います。まつげを鼻につけたり、口紅を目の回りに塗ったり、どこおかしいのでさらに付け足してみる、だから植えても植えても素敵にならない。私だけでなく、多くの人が私と同じような事をしているのではないでしょうか。それを解決する方法は、草・花のことを勉強する、欲をかかない、根や葉が広がるスペースを確保してあげることです。理にかなってないことはどこかアンバランスなのですね。

 人も同じです。私達も自分に合った居場所が一番幸せで素敵に見えるはずなのです。ポール・ラッシュ先生は天才的な感性の持ち主でした。今、ポール・スミザーさんのやっていることを60年前にやり始めたのです。そして清里は美しい高原になっていきました。『an・an』、『non-no』の影響もありましたが、清里だけが小海線の中で特にすてきな観光地に開発されていきました。

 今、私達はポール・スミザーさんと出会うことができ、ポール・ラッシュ先生のまいた種を復活させるチャンスをもらいました。感性(センス)を理論武装したやり方を萌木の村のガーデン作りを通して次の時代に残していけたらいいなと、失敗を通して感じる今日この頃です。
上次さんの気持ち
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