萌木の村は今、新しく生まれ変わろうとしています。
それは私が変わろうとしているからです。
何が大事なことで、何がこの地に求まられているかが、自分の中で理解出来始めたからだと思っています。
よく私はポール先生の意思を受け継ぎ、その後継者のように言われる事がありますが、よく考えてみると、ポール先生とその弟子の人たちが働いている環境の中で育ったというだけで、ポール先生から厳しく叱られたり指導されたりしたわけではありません。
後継者と言われる人はポール先生が認めたある意味選ばれた数人の方が、「弟子」と言われる人だと思います。一緒に働き、その中で挑戦し続けた人の事だと思います。
確かに私が物心ついた時から先生が身近におられ、私の父母をはじめ先生の考えを具現化していく。そのエネルギッシュな中に育った事は、今の私に大きな影響を与えた事は事実ですが、私が先生の強い哲学を理解していた訳ではなかった事に気づきました。
その為にこの40年間、私は遠回りをして来ました。今やっとポール先生が目指していた事が、「ああ、こういう事なのか」とわかって来たような気がします。
ポール先生には、先生の意思を引き継ぐ人たちが何人かおりましたが、この地を離れ先生の意思を別の形で伝えた人たちがいました。しかし清里では、この地のリーダーにならなければならない人が、先生より先に亡くなられた事が続きました。その事がこの地にとって大きな試練だったと私は思います。
私は今、自分に残された時間をより具体的に、私の出来る範囲で実践していこうと思っております。この事は、先生だったらどうしただろうか?どう考えたのだろうか?そんな思いで、今は一日一日を過ごしております。
しかし急激な変化は無理がある事も知りました。ポール・スミザーさんと一緒に萌木の村の環境作りを始めていますが、彼がこう言うのです。「この場所をいっぺんに変えたら管理が追いつかない。山野草が咲き素敵な景観を作るのには、丁寧に、管理ができる範囲で。例えると生まれた赤ちゃんが育っていくように、最初は丁寧に育てていかなければ」と。
萌木の村が山野草の中にうもれた環境は5年後出来上がります。
人づくりも時間を必要としています。
そのゴールに向かって、私たちは今を生きています。
そんな私たちを見に来て下さい。
第24回を迎えるフィールドバレエも、今までの23回続けてきたスタイルから大きく変わろうとしています。"The"フィールドバレエに生まれ変わります。"ザ"という事にこだわっています。全てここだけにこだわりたいと思っております。
追求する事によりおこる色々な摩擦。人は安定すると変わる事への勇気を失う場合があります。ポール先生が常に挑戦し続けたように私は生きたいと思うのです。その事が未来の財産となる。今、考える事ややる事が今日の為ではなく、明日の希望につながる為だと思います。
今年は寒く雪の多い日が続きましたが、花壇の石積みは進み、形が見えてきました。開拓者の先人の人たちが冬の間に春を待ち準備しているあの頃の姿が、やってみて分かってきました。寒い中での作業はとっても辛い事に見えるようですが、やっている私たちは面白くて仕方ありません。
清里のポール先生をはじめとする開拓者の輝きを、私たちも皆さんに伝えたいと思う今日です。