今まで何年も時間と手間をかけて作ってきた萌木の村の中のキッチンガーデンをすべて作り直しています。私は、1月は時間が許す限り昼間は現場の責任者の輿水章一さんと一緒に今は新しい萌木の村の顔になるガーデンの為の石積みをしています。昔の人は本当にすごいなと思います。今の時代はエアーハンマ、ユンボ、トラック、ハンマードリル等々機械と道具が有ります。それらを使っても石積みは大変な作業です。それをそんな便利な物のない時代にどうして作れたのか、本当に先人達は知恵や技術がすごかったのだと思います。人間は決して進化などしているとは思えません。昔持っていた能力は時代が進むと同時に失われたり、衰えているのではないでしょうか。
何故やり直しをしているのかということですが、100年後にも美しい自然景観を作る為に、一からやり直しているのです。基本的なガーデン作りの基礎知識が不足していた為、中途半端な事をしてきていました。中途半端ではなく必然の庭づくりをしたいのです。実は私の子供の頃(今から50年前)、清里の美しさは本当にすばらしかったのです。山は手入れがゆきとどき、山野草が咲き乱れ、清泉寮の回りはすずらんが群生していました。すずらんの咲く季節にはちょっと採りに行くだけでバケツいっぱいになりました。それが今はまったくありません。それは木が育ちすぎ、手入れをしない為、条件が変わってしまったからです。
石積みをして思うのですが、根石といって一番下に基礎として積む石がしっかり置かれていないと、積み上げていった時しっかり積めません。きっと何でもベースになる所が一番大事だと思います。そこの考え方がはっきりしていなければ、何をやっても中途半端になってしまいます。けっこう重労働ですが、不思議にその仕事はおもしろくて毎日現場に行く事が楽しくてしかたありません。
夜になると、ホテルの改装したバーに酒も飲めない私ですが、良く足を運びます。ウイスキー、シングルモルトの事など勉強しています。お酒を飲める人は本当に幸せですね!私はまったく飲めないので、ビールの時もそうですが、飲めないのによくやるわと言われますが、ウイスキーのことを勉強する事は楽しくて仕方ありません。ほんの少しウイスキーの事が解ってきました。そしてポール・スミザーさんと出会ったり、バーテンダーの久保田君と出会ったり、オルゴール館のピアニストの方とかそれぞれ一芸に抜きん出た力を持っている方々です。そういう方々とチームを組み、仕事を進めるという事は毎日が勉強と感動の日々です。そしてその方々と私達で新しい清里の目指すべき方向のモデルに萌木の村がなりたいと思っています。その為には、そんな夢を一緒に追い続けるチームを作りたいと思っています。私が今必要としている人は、ワインのソムリエ。それも地元八ヶ岳・山梨のワインについてはその人しかいないというようなローカルではあるが、プロフェッショナル。するとその事がグローバルにつながると思うのです。
私達は今、新しい提案を、しっかりした哲学を、石積みの根石のように持ち、その上に感動の物と事を作り出していきたいのです。萌木の村は今、工事中です。私を含め、スタッフも工事中です。生れ変わるという事は、勇気が必要です。
今年は巳年。私が子供の頃、牧草畑の中でヘビの抜け殻をみました。新しく生れ変わるという挑戦は、その先の夢を想像して生きる事だと思います。