私達は5月11日から「ポール・ラッシュ ドリームプロジェクト(P・R・D・P)」と名付けたプロジェクトを敢行します。そのプロジェクトとは、過日の震災で多くのものを失った方々の所に行き、少しでも希望が持てる力になれればと考え、萌木の村で所蔵する一番大きな自動楽器“ポール・ラッシュ”を持って岩手・宮城・福島の20カ所を回るのです。
被災した方々の力になりたいと思い始めたのは、清里の若者たちで構成するグループ“チーム清里”やフィールドバレエの裏方として携わる大工さんたちが震災直後から現地に入りボランティア活動を始めていたのです。そんな彼らの熱い思いとエネルギーに「私も何かしたい」という思いに駆られたのです。そんな思いを胸に秘め過ごしていた4月4日、オルゴールを被災者の方々に聞いてもらおうと思い立ったのです!
私達は21年間、野外でバレエ公演を行っています。21年間、自然から与えられる様々な試練を乗り越え、鍛えられてきています。この試練を共に乗り越えてきた仲間たちに、私の案を相談してみました。バレエ団の今村先生は「小さなフィールドバレエをやりましょう!」と快諾して下さいました。
発電機と共に“ポール・ラッシュ”を4tトラックに積み込んだ状態での演奏。これは初めての経験です。脇田直紀さんと名取淳一さんが準備に入ってくれました。
舞台はトラックの前に作るのですが、これは先崎豊さんにお願い致しました。彼は長くフィールバレエを支えてくれている大工さん。実はフィールドバレエだけでなく、シャンブルウェストの海外公演に同行し、舞台を作るプロフェッショナルなのです。彼が仲間とチームを作り現地での舞台を考案。その舞台も出来上りました。20回ともそれぞれの場所で組み立てては解体をくり返す・・・。こんな大仕事を彼は団長として引き受けてくれました。
山梨県庁東京事務所の仲田道弘さんとかがり火の編集長の菅原歓一さんには企画・調整をお願い致しました。このP・R・D・Pは当初私が考えた以上に大きく、充実したものになってきました。
ソフトとハードは出来とりつつあります。本来運営費も私が持っていて“どんと”出せれば良いのですが、私共の萌木の村も厳しい現実の中でもがいています。今そんな時ではないだろうとお叱りを受ける時もあります。今、私たちが出来ることは何か、この時に動かなければと私は思うのです。
私にはフィールドバレエを一緒にやってきた絆のある仲間の方々がいます。この計画を話したら、それは良いと力を貸して下さり、私たちを支えてくれました。
その中の一人の方がこの文章を添えて、私の肩を押して下さいました。
・30年近く前に亡くなった親父は、亡くなる10年程前まで、宮古や岩泉を拠点に行商をしていた。
・母は先月、東日本大震災の7日後、93歳で亡くなった。
・親父にとってはもちろん、私たち家族にとって岩手県は特別の地。
・母の霊前に頂いたご厚志の一部を 両親の思いと共にこのプロジェクトに託す。
・このプロジェクトによって、たとえ一時でも、被災地の皆様の心が癒されたとしたらこの上ない喜び。
・遠く山梨の地から、皆様の生活が1日でも早く、平穏な生活に戻られることを心からお祈りしている。
又、私の住んでいるこの地域は開拓の地です。その仲間がすべてを知っています。80歳を超えた先輩達が清里に入植したあの時と、被災された皆さんの町がだぶると言うのです。小さなほったて小屋で協同生活をしながら、人力で松の大木とくま笹と戦い、畑を作っていたあの時と。
…ジョウジ私たちを代表として行って来いと、足りないかもしれませんが、活動の足しにしてほしいと、私に大きな支援をしてくれたのです。
私はその夜、涙が止まりませんでした。清里に生かされて良かった、素晴らしい故郷そして、素晴らしい山梨の仲間、そして萌木の村のスタッフたち。私がみんなには迷惑をかけないと言っていたのに、計画が進むにつれ、多くの仕事を受け持ってくれて、プロジェクトの裏方の役割になってくれています。そして一緒の仲間になってくれています。本当にありがとう!
みんなに感謝。
この気持ちをもって、私たちは東北に行ってきます。
http://www.youtube.com/watch?v=bhGwatT7Qm8