マンスリー上次さん 11月号
TOPICS | 18.11.01
今月、私は人工股関節交換手術を東京医科歯科大学付属病院で11月16日に受けることになりました。人生で始めての手術です。7、8年前から腰が痛く、少しヨタヨタしていたのですが、萌木の村の庭づくりも始まり、毎日が楽しく、現場の石積みなどの作業の手伝いをついつい病院に行くことよりも優先してしまいました。今年に入ってガクッときてしまい、レントゲンを撮った所、完全に骨が潰れてしまっており、両関節を人工関節にしなければという診断を受け、今回の決定に至りました。
16日の手術後数週間入院しますので、私は病室で今まで自分のしてきた事、考えてきた事を一度じっくり検証する時間が取れそうです。何か現実に追われ、自分についてしまったサビの部分が自分では見えなくなっているように思えるのです。清里で生まれ69年という月日。裸電球一つ、水道もテレビも冷蔵庫も無い、薪ストーブでの幼少時代。開拓と言われた時代に、高校に行き、大学に行ったが中退し、清里でロックという清里初の喫茶店で若者のたまり場を作り、28歳の時に清里で初めての小さなホテルをオープンしました。その頃から清里が観光地として脚光を浴び、私の周りでは乱開発のスイッチが入ってしまいました。その時から『これで良いのか?』という疑問との戦いが始まったような気がします。萌木の村構想が始まり、オルゴールの博物館をつくり、清里フィールドバレエ開始しました。その当時の私はともかくこのままではいけないと思い、私とは違う想いの方向に進んでしまう恐怖心から無我夢中で自分で走る事しか出来なかったのかもしれません。準備としっかりした理論武装もしないまま走り続けてきた今日までを、今回は自分を見直す最高の時間を与えられたように思うのです。私の中でどう考えがまとまるのか、私のこれからの役割は何なのか、それをはっきりさせる時間だと思っております。
私はこうしたいと思うと、その時々でその道のプロの人との出会いがあり、他者の力を借りて夢を実現してきました。ホテルを作るときはポール先生の愛弟子の秋吉光男さんに、ホテルが出来てからはホテルオークラの料理長の向佐勝さんに、オルゴール博物館の時は永坂定夫さんや佐藤みのり先生に、ブルワリーを作る時は鈴木智之さん、ビール造りは山田一巳さん、清里フィールドバレエは今村・川口両先生に、そしてガーデン造りはポールスミザーさんに、そして萌木の村という構想の時から大川邦文さんに、お世話になりました。この様に多くの方々が暴走する私を心配して見ていられなくて手を貸して下さりました。なので今の萌木の村があるのは私の実力で出来た訳ではありません。これからは私達が自立しなければやっていけません。夢を持ってこの萌木の村に自分の可能性をかけて来てくれた若いスタッフに私が何を出来るのかが、私の大きな責任であると考えています。
萌木の村には本当に多くの宝物があります。しかしその宝物を宝物とまだ思えない人もいます。私は私が持っている価値観をスタッフと共に共有した時に宝物が生かされると思っております。またスタッフの中には私以上に宝物を生かす事を知っているクリエイティブな者もおります。そんな彼らの行動を見ていると心がときめきます。清里、萌木の村にしか出来ないコトやモノを作り上げて行くことが未来に繋がるのだと思います。これから新しい体験が出来る日が近づいています。きっと今考えている事とは違う新しい何かが待っています。
私がやっている事、やってきた事、そして今からやらなければいけない事は、実は私の力だけでは出来ません。だから私以上のクリエイティブな思考と人間力と行動力を持った若者に夢を託し、その可能性のサポーターになる事が私の今の夢です。山本勘助になれたら、そんな役割にスイッチを切り替えて演じきりたいと思います。
先日ある方との会話の中で、プロとはいつでもどこでも求められたら演じきる、取り組む瞬間にスイッチが入り別人になりきる、と。また、ある有名な女優さんと同席した事がありましたが、どこにでもいるごく普通の女性でした。いつも見ているイメージとのギャップにだれでも女優になれるのではないかと勘違いしてしまいそうになります。ところが舞台に立った瞬間スイッチが入るのだそうです。普段はひとりの普通の人間、本番では一流のプロ、そうなりたいですね。
私も年と共にまだ少しは人間として成長したいと思っています。
皆様とお会いできる日を楽しみにしております。