マンスリー上次さん 4月号
TOPICS | 19.04.01
私は決して家柄が言い訳ではない。経済的にも恵まれていたわけではない。学歴も良い訳でもない。開拓者としてこつこつまじめに働く父と母の元で育った。子どもの頃、冬には裸電球一つの家の中、水がすべて凍ってしまうというような小さい家で育った。父母の働いた清里農村センター(KEEP)の農場で父は朝早くから夜遅くまで働いていた。牛が病気になるとその傍らで夜も牛と一緒に過ごしていた。母は病院で働き、ポール・ラッシュ先生の理想のモデル構想実現のための現場スタッフであった。大きな理想の末端のスタッフであったが二人とも真面目で努力家であった。父母ともに貧しい家庭で育ったために、尋常小学校しか出ていなかったが、父は40を過ぎてからアメリカに一年農業の勉強をしに行った。私はそんな親がずっと誇りだった。父母がポール先生の元で働いてくれたおかげで、私はポール先生とも出会え、そのプロジェクトに参加している多くの素晴らしい人に出会えた。ロックフェラー、ライシャワー元米国大使、ピータードラッカーさんなどには子どもの時に会っていた。またそこで働いていて後にホテルオークラにいった秋吉光雄さん、アメリカ大豆協会にいった瀬良英介さんなどすばらしい兄貴のような人達に出会い、私のその後の人生において大きな影響を与えてくれた。私の人生の節目節目の判断において、そのような方々との出会いが大きく影響してきた。
私は一つ反省することがある。五感で感じ、判断し、突っ走って来たが、理論武装していなかった為に本質を伝えることができなかったような気がする。何故このことが必要なのか、リーダーになるための基礎勉強を怠ってきてしまったような気がする。今、自分が求めていることをどのように伝えていくか、そして希望に満ち溢れている若者のサポートをどうできるか、的確な答えを求められている。私の道は私が生まれた時から始まっている。その時から今までを見直し、自分をはっきりさせたいと思う今日この頃である。