マンスリー上次さん9月号
TOPICS | 21.09.01
私は悩んでいます。
何が正しくて何が間違っているのか。私の場合、貧しい開拓の時代から物の豊かな現代へ変遷する中を生きてきたので、ひとつの事柄が自分の中でもその時代・時代でとらえ方が違うわけです(縦方向の変化)。さらに自分の常識と他の人の常識は全く違うわけです(水平方向の違い)。それらを調整することがとっても大変な時代になってきました。進化が緩やかな時代なら年代の常識の差はそれほど大きくなかったでしょうから。
変わることは進歩で、良いことだと思っていましたが、変わりすぎるということは本当に正しいのでしょうか?!変わらなければならないこともたくさんあります、でも変わってはいけないこともあると思うのです。守らなければいけない事・物までも変わってしまっているのが今の時代のような気がします。そして人類の歴史の中でこの百年間で、関わる人の輪がどんどん大きくなり、ひとつ問題が起こると自分だけではどうにもとどまらず、たくさんの人を巻き込まないと解決しない時代になってしまいました。私の幼少時代には地域の中だけで解決したであろうことが、今や世界と関わらなければ解決できない時代になっています。海外で事故があって部品が入手できなくて工場全体が稼働しないとか、電気が止まったらトイレも使えないなど。私の子供時代は家には裸電球ひとつでした。でもその頃、何か困ることがたくさんあったかと言うと、何も困っていなかったのです。今の時代から振り返ると「大変だった」と思われたり言われたりしますが、その時代では電化製品がないのが普通なので不便とは思っていないのです。だから、その時代の価値観で生きている私は、時々考え方の違いで理解できないことがあります。“幸せとは何か”と言っても答えはバラバラです。そして知れば知るほど複雑です。ヘンリー・D・ソローの「森の生活」という本があります(19世紀アメリカのナチュラリスト H・D・ソローが“人は物に満たされた生活より、質素な生活の方が想像力が湧いて心豊かに人生を送れる”と説き、ウォールデン池のほとりに自分で小屋を建てて自給自足の生活をした体験記です)。その考え方に憧れてホテルの名前をつけ、清里の歴史の流れの中で生きてきました。
開拓地清里は「食料」・「健康」・「若者の希望」というテーマを柱にポール・ラッシュ先生が「清里農村センター」を作ってテーマをクリアしてきました。自分たちの力でそれらを克服しなければいけなかったのに、食糧問題だけをとっても外国から手に入れられるようになり、困らなくなりました。小学校の同級生の親の仕事といえば農業でした。それが観光地になり今では農業だけで生活している人は数えるほどです。私たちは物の豊かな平和な日本という国に住んでいますから、世界の貧しい国々も豊かで平和で安心して皆が希望を持てる世界になればいいと勝手に思っていますが、本当にそれは実現できるのでしょうか。もし世界中が日本やドイツのようにみんなが車を所有し豊かな生活ができたとしたら、それを誰が支えるのでしょうか。実は我々は貧しい国々の人々に支えられて、今のこの物質的に豊かな生活をさせてもらっているのではないでしょうか。経営として考えれば経済活動もしなければならない、人間として生まれてきたために欲望もあります。
ポール・ラッシュ先生の言葉「Do your best! and it must be first class. 最善をつくして一流であれ」。この“一流”とは、物欲的で金銭的なハイクラスを指すのではなく、感動の付加価値の追求のことを言っていると思うのです。そのことを分かりやすく説明することができません。今、私はそのジレンマと戦っているのだと思うのです。