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マンスリー上次さん4月号

TOPICS | 22.04.01

最近ふと思うことがある。新しいことはいつも最初理解されない。理解されないだけでなく反対される。同じことの連続は習慣あるいは文化というのだろう。日本人は米を食べる。それが日本の文化だ。私が高校生だったころ、高校生といえば坊主頭、学生服は当たり前、それが文化であり習慣だった。私は高校時代、坊主頭反対運動をして謹慎処分を受けた。いつの時代でも変えるということには摩擦がつきもの。いつの時代でも新しく変えることを良しとしない人がいるものだ。よくよく考えると私はいつも新しいことに挑戦してきた。
 
しかし、最近自分は挑戦をしていないことに気づいた。なぜだ?!歳のせいか?時代か?能力の衰えか?勇気の欠落か?新しいイメージが生まれないのか?周りを見ればシャトレーゼの会長のように、80歳を過ぎてからも次から次へとパワフルにチャレンジしている人もいる。あのパワーはどこから来るのだろうか、尊敬する。私はマネタイズ投資するが回収する力が足りないために、チャレンジしたことから見返りとしての経済力を手に入れていないことに気が付いた。結果として新しいことへの挑戦意識がなくなっているのだと思う。私はどうすればよいのか悩む。
 
このような状況で芸術について考える。アーティストにとって芸術と文化は違う。どちらが良いとか悪いではなく、また上か下かでもなく単に違う。3月26日まで競い合っていた大相撲春場所は文化だ。歌舞伎も文化だ。最初は習慣の中から芽が吹いて文化へと育っていく。それがクリエイティブな挑戦を重ねることでアート・芸術になると思う。さらに芸術は進化し続けるものだと思う。(同時に同じことの繰り返しによって追及・探求する人たちの偉大さも感じる。いわば“道”を極める人たちだ)
 
ピカソの絵は最初認められただろうか。ビートルズやロック音楽は最初認められただろうか、清里フィールドバレエも清里の野外で開催とはこの地のものではないといわれた。しかし、清里フィールドバレエは清里の文化になった。ではそれをどう毎年進化させていくか。漫然とした同じことの繰りかえしは退化につながる。33回目を迎えるにあたり、私から新たなアウトプットが出てこない。それは新鮮なインプットがないからだと思う。アウトプットをできないと保守的思考になる。コロナ禍とウクライナ問題によって好むと好まざるに関係なく世界の価値観が変わるのだ。その時、変化に対応する力が必要になる。心の備えをするべきである。私は何をしたいのか、自分を見つめなおしている。人にはそれぞれ役割がある。私の役割は何なのか、残された時間で私が社会に貢献できる役割探しの旅でもある。