マンスリー上次さん5月号
TOPICS | 23.05.01
本来地球上の生き物はそれぞれ役割があって、そのバランスを取って生きてきたはずだ。ところがここに来て人間だけが「地球は自分達(人間)の物」と錯覚してしまったようだ。世界各地で紛争が起き人間どうしで殺し合い、お互い自分達を正当化して責任を相手に押し付けあっている。
ちょっと待て!もし地球上の生命体が皆平等で微生物も昆虫も小鳥たちや森の木や野草たちにも人権と同じ権利があって、ひとつの命に一票ずつの権利があり、民主主義が行われていたら、地球号は間違った方向にはいかなかったのかもしれない。人間だけの民主主義は今や資本主義=お金中心、弱肉強食、紛争だらけ、勝った者だけが生き残ると思っているが、実は勝者などおらず、勝ったと思った者も追い詰められて結局終焉を迎える。
かつて地球上にはマンモスが生息していた。体が大きいから生きていくためには大量の食料が必要で、地球が氷期を迎え食料が減ったのと、体温調節が効かない大きな体が不利となり地球上から姿を消した。逆に同じ気候変動を生き延びた小動物がいる。清里には「ヤマネ」という小動物を研究・保護しているヤマネミュージアムという博物館がある。ヤマネはリスを小さくしたような、手の平に乗るくらいの動物だ。体の大きさもパワーもマンモスには到底及ばない。しかし体も小さく冬には体温を下げて寒さを凌ぐ術がある。エネルギー消費量が少なく冬眠中は食料を必要としない。だからマンモスと同じ時代を生き延びてこられた。
SDGsとかいっているが人間だけの民主主義は独裁だ。我々がやっている他の生命体への侵略は、人間以外の他の生命体から見たら、戦争のあの惨状よりも酷い行いだ。命あるものは必ず他の生命をいただきながら生きている。しかし人間だけは生きていく以上に欲望のために多くの命を奪っている。その結果が自ら今を招いてしまったと思うのだ。だから人間だけで政府をつくるのではなく、すべての生き物に一票の権利を与え、森の木や虫たちの意見を聞き、地球政府をつくってあるべき姿を求めていったら、我々人間はもう少しこの地球号で生きていけるかもしれない。
萌木の村は創業から50年経ち、施設の老朽化が進み設備の見直しをしなければならない時を迎えた。この冬、村内で水道の漏水が起きた。以前の水道を埋設したところには花壇ができていて、花壇を一部崩して埋設し直す計画を進めていた。しかしポール・スミザーさんから「NO!植物を犠牲にするな、植物にとって犠牲の少ない計画を練り直せ」と意見が出された。それはイコール会社にとっては最大の犠牲である。工事費用は3倍も4倍もかかってしまうからだ。でもスミザーさんは植物を代表してその主張を変えず、私は仕方なくその意見を受け入れた。効率と経済性を追求する生き方とは全く違う生き方が求められているのかもしれない。それが地球号の乗員でいられる条件かもしれない。
令和5年5月1日
萌木の村村長