今だけの「マンスリー上次さん」
TOPICS | 17.12.11
地元でスーパーを経営している私の友人が自己破産申請の準備に入りました。「地域密着」をスローガンに、高齢化、人口減少の時代の中、地域に貢献する事業には積極的に取り組み、自らリーダー役を買って出ていました。収支がとれないことはわかっていながら、空洞化する甲府の中心街に「もう一度賑わいを取り戻したい、皆の笑顔が見たい」と出店しチャレンジしてきました。発言はいつも本音で、権力に対して立ち向かい、孤立を恐れず、弱者を代表して矢面に立ってきました。そんな、地域に支えられ地域と共に働いてきた100年以上の歴史を持つお店が、幕を閉じたのです。
現在、地域の個人経営の会社は次から次へと行き詰まっています。清里も個人経営がほとんどです。全盛期に比べるとこの30年間で民宿40件、ペンション90件、スーパー4件がつぶれて消えていきました。世間では株価も上がり景気は順調に推移していると言われていますが、大都会の話、大企業の話、それとよくわからない新しいシステムの投機事業の話です。地方の中小企業は多くが苦戦しているのではないでしょうか。生き残っているのは家族経営の会社で、朝から晩まで休みなく必死で働いている職人さんや小さなお店でしょう。そんな人達ですら厳しい現実にさらされていることでしょう。八ヶ岳周辺を見ると星野グループの「リゾナーレ小淵沢」、「ダイヤモンドリゾート」、「八ヶ岳ロイヤルホテル」など大型で全国規模の施設は順調そうです。個人経営でも、突出した知識・技術・センスを持っているところは強いと思いますが、一般的に皆が持っているわけではありません。大企業のように戦略部門を持っていたり、情報分析機能があり日々進歩し続けることは、中小企業にはなかなかできません。現在萌木の村も働き方改革を進めていますが、現在の労基を守るのは今までと同じことをしていたら難しいです。知恵を働かせ新たな収入源を考えないと本体が持たなくなってしまいます。私達中小企業の知恵などは、いうなればふた昔前のパソコンです。新しいシステムを作っているスーパーコンピューターに勝負を挑んでも戦う前から勝負は見えています。大工さんという職業ひとつ取ってみても、今は“腕の良い大工さん”ではやっていけません。書類を書く能力がないと経営者にはなれません。建築基準法、食品衛生法、消防法などなど、次から次へとルールが変わります。また、情報機器やいわゆる人工知能まで、とにかく機械とソフトの進化についていけない。事業主も追い詰められていますが、人間ひとりひとりも追い詰められている時代なのではないでしょうか。勝ち組が夢をかなえ実力のある者だけが楽しく、弱者と貧乏人は生活保護で生きていけ!では何か違う気がします。弱者でも田舎でもひとりひとりにはっきりした役割があり、自ら自立していて努力すれば幸せになれるというシステムが必要なのではないかと思うのです。政治家がオーケストラの指揮者としてすべての演奏者を生かして一つの曲を作るようなことだと思います。
今回の友人の件も、全国的な大型店の進出、そして進出後の売り場拡張、県内競合店の食いつぶしなどの影響で経営不振に陥ったものです。もちろんどんな状況でも勝ち抜いていく人はいますので、社会が悪い、システムが悪いとすべて他者のせいにしていてはだめです。彼の能力不足という点はあると思います。仕入れ単価、金利、あらゆる点で不利な条件で戦って来たと思います。それにしても・・・。という思いがあるのです。明日は我が身です。
人はそれぞれ生きている目的があります。しかもひとつとは限りません。先日、萌木の村の中で話し合いをしました。私が生きていく上で重要な項目に優先順位をつけたのです。私の場合、一番は萌木の村という会社を守ること。二番目は清里フィールドバレエ。三番目はスペシャルオリンピックスと発表しました。スタッフからは「家族や我々のことも大事にして欲しい」と言われました。「もっと余裕をもって生活して欲しい」とも言われました。立場の違い、人によって様々な価値観があります。難しい時代です。人類の歴史の中で私たちは激動の時代を生きています。たった20年後どのような社会になっているかわかりません。逆に30年前、今の世の中のことを想像できた人がいるのでしょうか。こんな不透明な時代でも、より多くの人が「生まれてきて良かった」と感じられるシステム・ルールはないものでしょうか。今回のようにやるせない気持ちになることはもうごめんだと思います。
生まれて今日まで色々経験してきました。世の中は美しく正しいことがまかり通ると信じようとしてきました。しかし世界の歴史を見ていると、まじめに生きてきていても戦争の犠牲になったり、権力におしつぶされたり、自然災害で命を失ったり、自分の力ではどうにもならない現実を見せつけられます。 そんな大した実力もない小さな我々は、それでも現実とおり合いをつけ少しでも前へ進もうとします。節目節目で厳しい状況もありますが、夜は続かない、必ず朝日は登る、我々はそう信じるしかないのです。今日の結果がどうあろうと、今日という日は一年後には一年前の過去にすぎません。5年後10年後もそれぞれの過去でしかないのです。だったら厳しい現実から手に入れられるものはたくさんあるはずなので、それを糧に一回りも二回りも成長して欲しいと願うのです。私の思考の中でも矛盾だらけです。頭の中でどうどう巡りを繰り返します。彼の立場に立って考えようとしますが、私の経験の中でしか想像できません。そして自分の無力さを痛感するのです。
今私にできること、それはどんな立場になろうとも彼の友人でありつづけることです。