不思議なご縁
TOPICS | 18.08.30
丹波山村と小菅村を追われ、たどり着いた新天地・清里
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80年前に清里へやってきた先人たちが眠るお墓は、八ヶ岳から見える瑞牆山(1枚目)のさらに向こう、水の底に沈んだ「第一の故郷」を向いています。その遥か東(Far East)から再び清里へやってたのがFar Yeast Brewingでした。
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「なんのこっちゃ?」という感じですよね。
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萌木の村を歩いたことのある方の多くは、その南端が墓地に隣接しているのをご存知かと思います。ただ、そこに眠るのがこの地の開拓者たちで、墓石は彼らの第一の故郷、丹波山村と小菅村を向いていることは意外と広まっていないようです。実は当SNS管理人も最近知りました。
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1938年、東京都の水瓶「奥多摩湖」の誕生によって住まいがダム湖の底へ沈むこととなった人々のうち、山梨県側の丹波山村と小菅村の28戸は八ヶ岳南麓に入植。清里で第2の人生をスタートさせました。
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しかし当時、標高1200mの清里は現代に生きる私たちの想像を絶する厳しい土地だったようです。
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いたるところにカラマツや熊笹が生えすさぶ不毛の大原野は、冬はマイナス20度にもなり、ガスも電気も水道もなかった当初は日々を生き抜くことさえ困難だったといいます。
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事実、開拓初期の無理や貧困がたたって、あるいは医療環境の未整備によって、当時は子どもを含め、若くしてこの世を去ってしまった方も多かったそう。
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ただし、当SNS管理人はこうした話を『清里開拓物語』という書籍で知ったのですが、同書の裏表紙にある下記の言葉を読むかぎり、その方々の人生の100%すべてが苦痛や悲しみで満たされていたわけでもなかったようです。というか、そう思いたいですね。
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~ 清里は美しい土地だよ。青い空に白い雲、八ヶ岳がそびえ牧場を清らかな風が流れる。でも、そこに座り、耳をすませてごらん。大地の底から聞こえてくるだろう。この地を切りひらいた男や女たちの声が。苦しみにあふれてはいるが、希望と信頼にみちた声が ~
※『清里開拓物語 : 感激の至情、楽土を拓く』(著:岩崎正吾、出版社:山梨ふるさと文庫)より
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実際、同書には、後年酪農が盛んになっていった清里で、子どもたちの元気な姿を捉えた写真等も多数載っていました(4枚目)。はて、写真の子どもたちは今どんな人生を歩んでいるんでしょうかね。。。
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いずれにせよ、開拓当初の清里は仕事終わりに「びぃる」なる洋酒を引っ掛けるなんて生活とは無縁だったようですが、その80年後、八ヶ岳ブルワリーにとって初のコラボ相手となったのが小菅村のブルワリーだったということには、なんだか不思議なご縁を感じます。
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今回のビールが完成したら1本余分に購入して、最初の1杯は墓地で献杯しようかなんて考えてみたり。