マンスリー上次さん 11月号
TOPICS | 19.11.01
今回の台風は私達に大きな被害を与えた。私達の住む清里は風も雨も強かったが、準備もしていたことも幸いし、大きな被害も無く、台風が通り過ぎ一安心していた。しかし、周りは至る所で大きな傷が次から次へと・・・・。中央道も、中央線も止まり、こちらに来ることも出ることも大変な状況になってしまった。自然災害は昔からあった。災害が起こる度に人はそれを防ごうと知恵を絞ってきた。そして、想定範囲で対策し、守られていると勝手に思い込んでいた。我々が自然を支配していると思い上がっていた。そして、想定外の大きな災害が起こったときにやっと思い知らされる。私の生まれる前の開拓当時は湧き水のある所に水を汲みに行き生活をしていたそうだ。私の子供の頃には井戸あり、その後皆で作業をして水道を引いた。今は公共の水道になりとても便利になった。昔は何が起こってもそんなにパニックにはならなかったし、自分たちの力で復旧して生活が出来た。今は停電になっただけで水道も止まってしまう。昔の水道は高低差を利用して水道を引いていた。それが今ではモーターや圧力ポンプを利用し、いろいろコントロールし複雑にしている。そして一度事故が起こると大事になる。原発の問題でもそうだ。メリットばかりを見て進めていくと、問題が起こるまでデメリットが見えないでいる。また見ようとしない。地域も人も身の丈というものをわきまえなければならないのかもしれない。日本という国は災害が起こる度にルールが厳しくなる。小さな事は防げる、しかし想定外の大災害が起きた時には何の手立ても無くなってしまう。その時失うものはあまりにも大きい。
世の中に絶対に正しい答えなどないが、より正しく良い方向に向かって進みたいと思っている。私達萌木の村のガーデンの石積みはセメントをほとんど使わない。何故かというと、セメントは50年はどんどん強く頑丈になっていくが、その後50年で劣化して弱くなっていく。首都高速道路が前回の東京オリンピックから60年以上経ち至る所で修繕工事を目にする。でも、お城の石積みやピラミット、そして萌木の村の石積みは100年後、200年後もその姿を残すだろう。今行っている私達の手法は効率も悪く、手間のかかる現代社会の価値観の中ではすべて対極にある手法だ。ある大手ゼネコンの友人に「あなただったらこの庭を造れますか?また、いくら出したら造れますか?」と聞いたことがある。出来る人はいないし、いくらかかるか計算も難しいとのことだ。でもここ萌木の村には輿水章一さんという石積みの職人がいる。こんな人が側に居るから私はいろいろ考えさせられる。ものごとすべて効率と経済性を求めた人工物に囲まれた東京のような都会で育ったら、自然との共生という事はなかなか考えられないのはしかたのない事かもしれない。だから、今からの時代は地方・田舎に住む我々が昔に失った価値観を取り戻し、この時代に合った形を作って提案していかなければならないと思う。
自然と生きるという事は自然に寄り添いながら、ちょっとだけ手入れをさせてもらうという事だ。ポール先生も言っていたのを思いだした。