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マンスリー上次さん7月号

TOPICS | 20.07.01

私が物を判断するときなぜそう判断したかを考えると、自分の頭の中、心の中で経験したこと・学んだことを判断材料にしています。これは誰しも皆同じで、経験のないこと、知らないことに結論を出すことはできません。経験して学んだことは五感で感じとったことすべてです。この五感で感じとった知識は自分の中で絶体的なものになります。だから五感で感じとる能力のある人は、その感性を生かした役割にハマるととても大きな力を発揮します。

 

もう一つの力は学ぶことによって知識を得ることです。微生物とかウィルスのこと・歴史のことなどは見えない物です。それらは知らなければ全く自分に関係ないと思ってしまします。しかし、よく考えてみると、自分という存在は見えるものと見えないものの集合体でひとりの人間が地球上で生かされているわけです。そして一人一人が集まって家族になり、地域住民となり日本人になります。そこで命が継続できるのはそれぞれが結びついてお互いなくてはならない、相互に必要とする関係を作っているからだと思います。

 

今回私たちは新型コロナウィルスという目に見えない小さなウィルスによって、今まで築いてきた結びつきを分断させられました。なんと人間とは弱い生命体なのかということを思い知らされました。人は結びつきの中で生かされていることを多くの人が再確認することができたと思うのです。今回のことは経験の知識です。特に人は厳しい経験は大きく心に焼き付けられます。

 

現在世界中にこのウィルスのことを完全に理解している専門家はいません。「少しわかっている」というところから想像して多くのことを判断しています。その為に想像の仕方が違うとその差だけ対立になってしまいます。感染して重症になり人工呼吸器をつけた厳しい病院生活を送った人、陽性であっても症状が出なかった人、田舎で暮らしていて周りに感染者もいない環境の人では、考え方が大きく違ってきます。その違いで感情的にもなります。わからないことに対応する力を持っていないと自分で考えるのではなく誰かに決めてもらいたいと依存します。我々は社会という集団の中で生きているわけですから、決められたことは守らなければなりません。しかし本来ひとは自分で考えなければいけません。ITとかAIとか時代はどんどん便利になり、ある意味進歩してようにも思えるのですが、一人一人の考える力、感性、創造力は劣化しているように感じます。少し前の時代では天気予報はなかったわけで、お百姓さんは空や雲を見て明日の天気を自分で判断していました。また、食品に賞味期限が表示されたら食べられるか腐っているか自分で判断しなくなりました。

 

私が今回何を言いたいかというと、田舎を好む私たちは人間以外の多くのものと関わりながら生きていて、そこからたくさんのことを学び、より豊かな人生が送れるということなのです。例えば萌木の村のようなナチュラルガーデンは都会にはありません。蝶が飛び交いしかも海を渡って移動する蝶=アサギマダラや国蝶オオムラサキなど、なぜこんなに集まってくれるのかと思うくらいです。ここは蝶にとって安全な環境だからなのでしょう。樹液や花の蜜がいっぱいあり無農薬で安全だからでしょう。でもそれを生み出しているのは地中の見えない微生物が元気に植物を育てているからです。それぞれが助け合っている自然界を見ていると、人間とはなんとバカなものだということを学ぶことができるのです。だから子供たちは人工的なものだけに囲まれた生活をしていては、豊かな感情は育たないのです。春の芽吹きから生命感あふれる夏、秋にはその姿は衰え冬に地中で健気に耐える、四季を通してガーデンを見ていると、いろいろ考えさせられます。また、我々のガーデンの周りには人間の手がはいっていない自然があります。人間と関わる自然と関わらない自然、また違う価値感を教えてくれています。

 

だから今回の新型コロナウィルスも今は“敵”で“戦争”という言葉を使っていますが、もしかしたら戦うのではなく“共生”していくという考え方もありと思うのです。どちらが正しいとかではなく、幅広いいろいろな考え方があっても良いと思うのです。勝ちか負け、白か黒かだけでなく、その中間もあると思うようになりました。どちらが正しいか?!でなないのです。その中で自分の役割はと考えるということなのでしょう。皆さんどう思いますか。