マンスリー上次さん10月号
TOPICS | 20.10.06
私たち清里で生まれ育った人達は、入植から今日までどのようにこの地で生き、どのように変質してきたのでしょうか。周りの環境は大きく変わっています。1年1年は変化がほとんどわからないけれど、5年・10年と積み重なると大きな変化がはっきりわかります。
さらに人の考え方・思っていることの変化は見た目ではわかりません。開拓の父と言われたポール・ラッシュ先生が言っていた、明日への希望、謙虚さ、誠実さ、実直さ、勤勉さ、助け合い、思いやり、地域愛など、日本人の多くの人が持っていた固有の民族性、そして厳しい寒さの中、物資のない開拓地で皆一つにまとまり助け合って生きてきたその生き様。たった70余年で我々は経済成長と効率化を求めて大事な心を失ってしまったかもしれません。手間暇かけて安全な野菜を作ることよりも、経済性とか効率を求めて、より大量に形の良いものを作ろうとします。すべてにおいて何か変だと思うのです。豪雨による川の氾濫・決壊、そして山崩れ。自然災害が日常になってしまった。気象の激変、北極や南極の氷が溶け始め、世界的に生態系の崩壊の兆しが顕著に現れています。清里だって同じです。
人間の身勝手さが地球の様を冒涜して天罰が下され始めました。聖書の中の「ノアの箱舟」のことが思い起こされます。人づくりをしない地域はいずれ滅んでいくのでしょう。
現状からの一時的な経済再生はその場しのぎです。確かに生き延びなければいけない、乗り越えなければいけないと思いますが、その先・未来へつなげるにはもっと自分を、地域を、日本を、世界を見て考えなければいけない時だと思います。人間は人と人でつながっているだけではなく地球上のすべての生命体とつながり生かされているわけですから。今回の件で見えないウイルスがこんなに強いものだと知りました。私たちはウイルスや微生物と共に生きていることも知りました。先が見えないという怖さも知りました。“普通”が素晴らしいということも知りました。起きてしまってからではなく、ほんの少し手前で気付き行動すれば防げるのに、人間とは何とおろかな生き物なのでしょうか。私もその中のひとつです。
清里は1日にして変わったわけではありません。入植、開拓、貧困、戦争、農業、観光、観光衰退、現在と70余年で変わってきました。それを戻すには“こうなれば”と思っても、思うように元には戻りません。錆び付いた部品をひとつひとつ磨き続けなければならないのでしょう。今回は自分を省みると反省することばかりです。
萌木の村村長 舩木上次