マンスリー上次さん4月号
TOPICS | 21.04.01
いつもはスラスラと思っていることが出てくるのですが、今回は何を書けば良いのか悩んでいます。
コロナ禍の中あまりにも全ての状況が変わり過ぎて、そのスピードについていけない自分がいます。多くの団体や組織でも次なる一手を打つことができず、大きな壁にぶち当たっています。ここ清里においては高齢化問題、少子化問題、後継者問題など。大きく地球を見れば温暖化問題、異常気象の問題、環境汚染問題、食料問題など。日本の周りを見ればロシア、中国、北朝鮮と全て原子爆弾を持った国に囲まれ、決して友好的な関係ではありません。そして私は72歳。昨年は癌になり弱気になり、言葉が詰まってしまいました。そんな時でも萌木の村環境整備はコツコツと続けられています。私はそこに時間の許す限りお手伝いに入っています。作業をしながら周りを見ると・・・今は芽吹きの季節。眠っていた植物が一斉に芽を吹きはじめ、花を咲かせはじめた物も。気がつけばこの環境整備もコツコツと10年。一日一日は地道な作業でしたが萌木の村の景色は大きく変わりました。
“僅差が大差”という言葉がありますが、小さな日々の積み重ねを継続していると、時間と共にとんでもないことになる、ということを実感しました。そしてその中から勇気をもらっていることに、書きながら気づかされました。「そうだ、やっぱり自分にも皆さんにも、何かひとつどんな状況でもやり続ける、思い続けることを勧めよう」と思いました。自然から学ぶことが大事だと思っている私ですが、作業を手伝いながら日々感じることの積み重ねは新しい発見の連続です。今は石積みの仕事ですが、作業中は無の境地になれます。そしてこの石積みの庭が100年・200年後にも残ると思うと、コロナ禍の不安が吹き飛ぶのです。もちろん現実の世界に引き戻され答えのない問題と闘うのですが、日々の自然との関わりの中で知らず知らずのうち心が救われているのだと思います。
もう一つは歴史から学ぶことだと思います。私の言うことは私の物心ついた時のことです。開拓地の清里は貧しく、私の子供の頃は家の中の照明は裸電球がひとつあるだけでした。他の電気製品はありませんでした。あの時代に比べれば、今の物の豊かさ便利さは凄いことになっているのに、あの時代の厳しい条件の中での生き方の方が、夢も心の豊かさもあり充実していたのはなぜだろうと思うのです。厳しい条件の中では確かに犠牲も生じます。しかしその中で希望を失わなければ人は力強く生きていかれるものだと思うのです。今、私は自分に言い聞かせています、開拓者の息子だと!