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マンスリー上次さん9月号

TOPICS | 16.09.01

私の人生は経営者としてはほとんど崖っぷちに立っている状態でした。特に清里地域の衰退は著しく、この30年間で「ここまで落ち込むか」というほどの観光客激減です。そんな中、萌木の村はバレエ公演にかけ、文化のまちづくりに挑戦してきました。そしてこの5年、美しい環境を作る為にガーデン作りに没頭し、天才ガーデナー ポール・スミザーさんとの出会いもあり、この2年位でようやく「何んとかなりそうだ」という希望の光が見えてきた矢先、8月8日に大きな火災を起こしてしまいました。夏本番のまっただ中ということで、商品の在庫、材料など、冷凍庫や冷蔵庫は満杯状態でした。最高の時に最悪の事が起るのですね。あれから約3週間、いろいろありましたが、再建に向けてスタートラインに着きました。

 

私の萌木の村は、スタッフと仲間の手作りで作り上げてきた村です。私が23歳で始めた「ROCK」は、私の親戚の友人で一級建築士の永坂定夫さんという方に図面を書いてもらい、甲府の大工さんに作ってもらいました。その永坂先生がとっても良い方で、ホテルの計画もお願いしました。当時、洋風で山小屋風の建物を手掛けた地元の工務店さんがいないので、長野でリゾートホテルをたくさん手掛けている北野建設さんにホテルを建ててもらいました。北野さんはニューヨークでホテル経営もしており、ホテルの経営について何も知らない私はその部分に期待してハット・ウォールデンができあがりました。その後清里は急激な乱開発時代に突入します。人々は「清里ブーム」とも呼びますが、私はそのことが間違った方向に向かっていると思い、その時点から乱開発との戦いが始まりました。軽率なお土産タレントショップ、何でも商売になり、土地は高騰して「これはまずい、このままで良いのか」と日々疑問がつのります。「他にはなく、本物の魅力を持った集団を作らなければ」と思い、萌木の村構想が始まります。手作り工房村構想です。素焼き・彫金・レザークラフトの三つの工房を建設する計画です。その時、一人の大工さんと出会います。堀内正人さんです。堀内さんが独立して始めて手がけた建物が、今も残る萌木の村の小さな建物、現「ル・シャ・デ・ボワ」です。しかし、その出会いが萌木の村の運命を変えていきます。永坂先生・堀内正人のコンビの誕生です。そこから今日まで、萌木の村のすべての建物は堀内正人さんの率いる大工チームによって建てられてきました。堀内さんは私と一緒にアメリカ、ヨーロッパ、日本の建物やリゾートを見て回り学びました。そして堀内組は「ドイツハウス堀内組」へと成長していきます。彼の元には優秀で大きな夢を持つ大工さん達が集まり、そこで学び独立して、今ではそれぞれ工務店を経営しています。

そんな彼らも六十代に入りましたが、今回の再建には皆何を置いても力を貸してくれると言うのです。今まで萌木の村を育ててくれた仲間が一同に集って、それぞれ自分の得意の分野を生かし、萌木の村を救うために一つのチームになりました。工事の中心になる人は、「大喜建設」の利根川喜美男さん。抜群の管理能力を持つ現場管理のプロフェッショナルです。大工の棟梁は、ホール・オブ・ホールズを30年前に若くして作った「ゆほびわ工房」の末吉徹郎さん。電気・水道など設備屋さんもすべて初めてという人はいません。私は今まで現場が大好きでいつも皆さんからはありがた迷惑だと思われていても、自分では手伝うつもりで参加してきました。彼等と一緒に仕事をするのが楽しいのです。今回はみんなと昔話をしながら、今まで以上に緊張感のある仕事をしていきます。今回の萌木の村の状況を野球に例えるならば、9回裏3対1ビハインド、ツーアウトランナー1塁2塁、バッターはツーストライクノーボールに追い詰められた状況です。奇跡のホームランが出て4対3で逆転勝ち、超感動のフィナーレ、そんなゲームを作りたいと描いています。

 

火災事故から物心両面で応援して下さっている皆様に、紙面を通して感謝を申し上げています。まだ一人一人にお礼のご挨拶もできていないことをお詫び申し上げます。必ず再建して、皆様に喜んでもらえる清里のランドマークとして、地域にも貢献できるよう責任を果たしていきたいと思っております。感謝!

 

平成28年9月1日

萌木の村村長  舩木 上次