マンスリー上次さん 4月号
TOPICS | 18.04.01
私達の住んでいる清里の八ヶ岳地区という場所は、東京奥多摩ダムの湖底に沈む丹波山村、小菅村の住民が移り住んで開拓した場所です。今年で入植80年を迎えます。先日先輩の方の話を聞きました。私は「大変だっただろうな」と想像していましたが、「こんな素晴らしい所に移ってこられて本当に幸せだった」と言われました。生まれ故郷の丹波山村、小菅村は山間のもっと厳しい所だったようです。電気も水道もない清里の原野に移り住み、そこでゼロからのスタートだったのです。
私もすでに69才。私の記憶に残る当時の思い出は家の中には裸電球一つだったということです。水道などはもちろんありません。薪ストーブとドラム缶風呂の生活でした。同じ開拓者の家に行くと、玄関を入るとそこには馬がいました。馬と家族が共に住む生活です。私の父は、ポール・ラッシュ先生が開いた清里農村センターの農場、母は病院で働いていました。ですから開拓の方とは少し育った環境が違いましたが、貧しさ厳しさは同じでした。冬はマイナス20度、家の中にある水は全てカチカチに凍っていました。このように私が生まれた時から今日現在までの進化・進歩は人類史上初めての変わり方でしょう。縄文時代はずっとずっと時の流れもゆるやかで、親も子も何世代にも渡ってほとんど同じ生き方をしていたはずです。しかし今の時代20年前に今の世界を予測できたでしょうか?20年後を本当に想像できるのでしょうか?
その変化に対応していかなければいけない現代人は、それをよしとする人達と、ついていけずにもがく人達に分かれるのでしょうね。現在の生活を経験すると私の子供の頃の生活は全く不便で貧しく大変だと思いますが、その時そう思っていたかは別です。周りの人すべてが貧しいのですから、決してそうは思わなかったはずです。開拓者すべての人が去年より良い収穫をと願い、日々の一鍬一鍬が未来につながる手ごたえを感じ、夢を追っていました。そこには喜びや笑いや楽しいことがいっぱいありました。今の人と江戸時代、縄文時代の人間と何が違うのですか?生まれた時代が違うだけです。もし私が江戸時代に生まれていたら、その時代と場所に適応していたはずです。
今の時代より開拓時代の方がひとりひとりは自ら考え、自ら行動し、開拓者同士協力しあい、夢を持ち、良い汗をかき、楽しく生きていたように思えてなりません。今の時代は一部の人が作ったルールに縛られ、我々が奴隷になっているように思えて仕方ありません。それらの物を使いこなす人にとっては良い時代です。しかし、それらの物についていかれない人にとっては苦しい時代です。だからこの急激な変化の中で人が置き去りになっているでしょう。
地球に人類が生き続けることができる残りの時間は、地球が誕生してから現在までの46億年を一年に置き換えると、あとたった2秒だそうです、昨年研究者が発表しました。この水の惑星と言われる素晴らしい地球で、我々の子供や孫達が少しでも長く生き続けていけるために、我々はいま何をするべきかを考えてみてください。私は未来に何を残すかと考えると、この素晴らしい自然を残してあげたいという結論に行き着きます。萌木の村のナチュラルガーデンは八ヶ岳のシードバンクの役割を担っているようです。萌木の村ガーデンではこれから400種以上の八ヶ岳の山野草が春夏秋と咲き続けます。そんな自然の中に囲まれていると、もんもんとした何か答えのでない嫌な時間から解放されます。ゆっくり芽吹き、花を咲かせ、種をつける草花が、互いが寄り添い助け合っている庭の中にいると、我々人間も自然の中のひとつだと思うことができます。そこからいろいろ考えると、自然の中では人間は本当に小さな存在です。そして私にとって大きな問題も、実はたいしたことではないのだと思うのです。ポール・ラッシュ先生が生前、「自然と闘ってはいけない、自然に寄り添って生きなければいけない」と言っていたことを思い出します。
一日は一日。一年は一年。だから毎日楽しく!笑って!感謝して!元気に過ごしたいものです。
平成30年4月1日 萌木の村村長 舩木上次
※マンスリー上次さん2月号の提言は大きな反響があります。読んでない方は是非一度読んで見てください。そして私と一緒に考えてみてください。