MOEGINOMURA ESSENCE
萌木の村のこと
清里から未来をつくる
山梨県北杜市、標高およそ1200mの清里高原で、1971年の喫茶店ROCK開業からはじまった萌木の村(もえぎのむら)の歩みは、半世紀を経て、レストラン、ホテル、ビール醸造所、カフェ、メリーゴーラウンド、オルゴール博物館、各種クラフトショップおよび工房が集まる複合観光エリアへと結実しました。
「八ヶ岳ブルー」と呼ばれる蒼天、目の前に迫る赤岳や横岳の稜線、ヤマネやシカが暮らす雄大な森、地域固有の亜種を含めた多種多様な植生。はるか昔から変わらない八ヶ岳南麓のすがたに寄り添いながら、私たちは現代にあって忘れられがちな自然との共生という価値観を、過去から未来へ、清里から世界へつなげていきます。
20世紀前半に不毛の荒野を開墾した先人たちの知恵である石垣のなか、萌木の村には“清里開拓の父”ポール・ラッシュ(Paul Rusch)博士が生涯愛した清里の原風景が広がっています。2012年からはランドスケープデザイナー、ポール・スミザー(Paul Smither)氏監修のもと、10年の歳月をかけ、約32,000㎡におよぶ萌木の村敷地全体で700種超の植物が育つ「ナチュラルガーデンズMOEGI」が整備されました。
日本最大級のナチュラルガーデンから聞こえる自然の韻(うた)に耳を澄ませながら、石垣の隙間であそぶ野鳥や小動物たちの息吹を感じながら、レストラン「萌木の村ROCK」やオルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」等、清里を代表する人気スポットへお立ち寄りください。長年にわたって連続上演されている日本で唯一の野外バレエ公演「清里フィールドバレエ」をはじめ、季節のイベントももりだくさんの萌木の村です。
Do Your Best and It
Must Be First Class.
最善を尽くして一流たるべし
ラッシュ博士が残した言葉を胸に、次の半世紀も、皆さまとともに清里から未来を開拓していきます。
萌木の村クロニクル
01
萌木精神のルーツ
1925年~
日本におけるアメリカンフットボールの普及に尽力したことでも知られるポール・ラッシュ博士(1897~1979年)が初めて来日したのは1925年。以来、YMCA再建にたずさわる一方で、清泉寮や清里教育実験計画(現キープ協会)を設立し、酪農や農業を指導しながら清里高原の開拓をリードしていきました。
写真所蔵:(公財)キープ協会 ポール・ラッシュ記念館
02
開拓のはじまり
1938年~1940年代
東京都の水瓶「奥多摩湖」の誕生で住まいが湖の底へ沈むこととなった丹波山村と小菅村の人々が八ヶ岳南麓に入植し、第2の人生を歩みはじめたのが清里開拓のはじまりでした。萌木の村中央広場の南端に隣接する墓地に眠るのは当時の開拓者たち。彼らの墓石は瑞牆山のさらに向こう、水の底に沈んだ故郷 丹波山村を向いています。
03
喫茶店ROCKが誕生!
1971年
萌木の村の出発点は1971年。すべてのはじまりとなった喫茶店ROCKは、「若者が集って夢を語り合えるような場所をつくるため」(舩木上次)に誕生しました。ロック音楽がかかる店内はやがて地元の人々で賑わうようになり、名物のカレーも人気に。創業半世紀を超えた今も清里高原のアイコンとして疾走を続けています。
04
理想のまちをつくる大きな1歩
1978年
アメリカ人作家ヘンリー・ソローの随想『ウォールデン 森の生活』から名付けられたホテル ハット・ウォールデンの開業は1978年。農業や観光だけでなく、ものづくり等、さまざまな生活を営む人々が暮らす“理想のまち清里”をつくるべく構想した萌木の村に欠かせない要素が、清里で最も古いクラシックホテルに結実しました。
05
丘の上に建てた“止まり木”
1993年
「森のメリーゴーラウンド」が萌木の村広場の小高い丘に設置されたのは1993年。埠頭や公園等、アメリカではメリーゴーラウンドが遊園地以外にも設置され人々に親しまれているのを見た当社創業者が、「萌木の村で人と自然をつなぐ“止まり木”に」と考えてアメリカから買い付けました。今ではアーティストのPVにもたびたび使用される人気スポットに。
06
いまだ続く未来への疾走
2023年~
喫茶店ROCKは1997年にビール醸造所併設のブルワリーレストランとして生まれ変わり、国内外で高い評価を受ける「八ヶ岳ビール タッチダウン」を生み出していきます。その後、2016年に火事で消失してしまった2代目ROCKは多くの人々の支援を受けながら2017年に再建。現代の3代目ROCKとなりました。
Magazine
萌木の村マガジン
萌木の村をより深く知り、さらに楽しんでいただくための特集コンテンツです。