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萌木の村マガジン
今回の自民党の大敗で世間は大騒ぎをしていますが、私は今年の異常気象や温暖化などの身近な異変の方がはるかに大きな問題なのに、人間とは自分のこと、そして人間中心にしか、どうして考えられないのでしょう。
10月にいつもブドウをお願いしている韮崎のお世話になっている人に、「今年も送りたいので」と電話をしたら、「舩木さん、今年は早く成長して出荷が早まり、今は何もない」と言われてしまった。萌木の村からすぐ近くの高原野菜を出荷している友人は、「今年最後のレタスだから」といつもより1ヶ月も早くレタスを持ってきてくれた。
それぞれ経済的にはそれなりの売上になったようだが、私は大変な問題だと思った。
10月26、27日には、私どもの広場で秋の恒例イベント「カントリーフェスタ」を行ったが、まわりの木々は緑いっぱい。いつもは紅葉がはじまり、色づいているはずなのに。この急激な変化が進めば、われわれ人間は対応できるのだろうか。われわれ人間がこの地球上で生存するためには、エサと環境がなければ、生命体として存在し続けられないと思うのです。
衣食住が足りているから、身の回りの人間中心に思考しているが、そんなことは地球の生き物全体から見たら小さなことだ。
特に私の住んでいる八ヶ岳の森は、ほったらかしにした結果、森が荒れてしまい、災害がいつ起きても不思議でない状況になっている。農産物も化学肥料と消毒で地中の微生物にダメージを与えたために私たちはスカスカの野菜を食べている。
もう一つ最近気になることがある。道路の草刈りがまったく行き届いていない。遊歩道は雑草だらけ、歩道は雑草が生い茂り、歩道ではなくなってしまった。高速道路でも中央分離帯は本来雑草はないはずなのに、今はもはや〝中央緑樹帯〟の様相だ。側道も同じ。雑草だけではなく、雑木までもが生え始めてしまった。
しかし、少しずつの変化には気付かない。それが当たり前になってしまう。私たちの住む清里は、以前は、自分たち住民で区の中の国道県道でも自分たちで美化運動をしていた。皆で草刈り、花植えをしていた。
今は高齢化と人手不足で行き届かない部分も多い。水道も、下水も、住んでいる家も、何かあったら修理する人がいない。これから先、われわれはもう一度、人間として生き残ることができるか、大きな問題に直面するのではないかと思います。
そんな時、わたしの頭によぎるのは、子ども時代から70年前の開拓時代。みんな人間として輝いていた。みんな夢と笑顔があった。
今だってそんな気持ちになれるはずだ!