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萌木の村マガジン
本来、地球上の生き物はそれぞれ役割があって、そのバランスをとって生きてきたはずだ。ところがここに来て人間だけが「地球は自分達(人間)のもの」と錯覚してしまったようだ。世界各地で紛争が起き、人間同士で殺し合い、お互い自分達を正当化し、責任を相手に押し付けあっている。
ちょっと待て!
もし地球上の生命体が皆平等で、微生物や昆虫、小鳥たち、森の木や野草たちにも人権と同じ権利があったら?ひとつの命に一票ずつの権利があり、民主主義が行われていたら?地球号は間違った方向にはいかなかったのかも知れない。人間だけの民主主義は今や、資本主義=お金中心、弱肉強食、紛争だらけ。勝った者だけが生き残ると思っているが、実は勝者などおらず、勝ったと思った者も、追い詰められて終焉を迎える。
かつて地球上にはマンモスが生息していた。体が大きいから、生きていくためには大量の食料が必要だった。地球が氷河期を迎え食料が減ったのと、体温調節が効かない大きな体が不利となり地球上から姿を消した。
逆に、同じ気候変動を生き延びた小動物がいる。清里には「ヤマネ」という小動物を、研究・保護している“ヤマネミュージアム”という博物館がある。ヤマネはリスを小さくしたような、手のひらに乗るくらいの大きさの動物だ。体の大きさもパワーもマンモスには到底及ばない。しかし、冬には体温を下げて寒さを凌ぐ術がある。エネルギー消費量が少なく、冬眠中は食料を必要としない。だからマンモスと同じ時代を生き延びることができた。
SDGsとか言っているが、人間だけの民主主義は独裁だ。我々がやっている他の生命体への侵略は、人間以外の他の生命体から見たら戦争のあの惨状よりも酷い行いだ。命あるものは必ず他の命をいただきながら生きている。しかし、人間だけは生きていく以上に欲望のために多くの命を奪っている。その結果が自ら今を招いてしまったと思うのだ。
だから人間だけで政府を作るのではなく、すべての生き物に一票の権利を与え、森の木や虫たちの意見を聞き、地球政府を作って、あるべき姿を求めていたら、我々人間はもう少しこの地球号で生きていけるかも知れない。
萌木の村は創業から50年経ち、施設の老朽化が進み設備の見直しをしなければならない時を迎えた。この冬、村内で水道の漏水が起きた。以前の水道を埋設したところには花壇ができていて、花壇を一部崩して埋設し直す計画を進めていた。
しかし、ポール・スミザーさんから「NO!植物を犠牲にするな。植物にとって犠牲の少ない計画を練り直せ。」と意見が出された。それはイコール会社にとっては最大の犠牲である。工事費用は3倍も4倍もかかってしまうからだ。でも、スミザーさんは植物を代表してその主張を変えず、私は仕方なくその意見を受け入れた。
効率と経済性を追求する生き方とは全く違う生き方が求められているのかも知れない。それが地球号の乗員でいられる条件かもしれない。
萌木の村村長