Magazine
萌木の村マガジン
新年あけましておめでとうございます。
私は1月17日に74歳になります。73年間、ほとんど清里での生活を送ってきました。自分で求めたわけではありませんが、結果として波瀾万丈な人生であった気がします。生きた時代、生きた場所、出会った人がそれぞれ浮き沈みが大きく感情豊かで、喜怒哀楽の多種多様な人生であったと思います。
その中で、出会った人たちに私は育てられたなあ、と気付かされた今日この頃です。自分が今ここに存在しているのはなぜか?!そして残された時間で何をするべきか?!何ができるのか?!自問自答している毎日です。
私は小学校5年生の時に大病を患い、1年以上入院生活を送りました。その時、私は子供心に「明日はない」と思ったことがあります。私は命を救われ、その後も生き続けられて今日を迎えました。2年前には、発熱しコロナかと思い病院に行ったところ、腎盂腎炎で緊急入院になり、その治療の過程で癌が発見されました。運良く手遅れにはならず、手術で切除することができました。人間はまず個体として健康で生きていなければ何もできません。
人は生まれてくる時、何も持たず身ひとつで生まれてきます。そして最後、何も持たずに身ひとつで人生を終えます。73年間で持ってしまったものはどうすれば良いのでしょう。
“持ってしまったもの”には、見えるものと見えないものがあります。特に大事なものは見えないものの中にあるように思います。五感で感じた宝物の数々、一つでも多くのものを次の世代に引き継いで残していきたいと思います。夢、感動、感謝、笑顔、言葉にするとそんなフレーズですが、説明しようとするとなかなか通じない。その通じないこと、したがって伝わらないことが1番の悩みです。感性は人によって個人差があります。私が感じていることと、他の人が感じていることは全く違うものです。実は私は感じ方が鈍いようです。しかし、私の周りには感じる力を持った人がたくさんいて、そのために私は感じる力が弱いのだと自覚することができました。今思えばこの自覚が大切だったと感じます。私は自力で感じ取れなければ、周りの感性豊かな人たちから学べば良いと悟ったのです。
これからの時代は、強く感じ取る力のある人が世の中を変え、新しい時代を築いていくと思います。変化を感じ取り、自分の無力さを知り、そこから這い上がっていくのでしょう。私の生きた73年間は、人を取り巻く環境があまりにも早く変化しすぎました。地球規模でバランスを崩してまでも、自分の欲求を追求してきました。結果、そのツケを自ら背負うことになりました。この後の時代を担うみなさんは、それらの反省点の上に新しい時代を生きなければなりません。時間が止まることはありません。未来において別の知的生命体が現れて、人間が滅んでいったなどということが絶対にないよう、今を生きる我々は自らの力で考え、進歩し、未来を築いていかなければなりません。そんな中で私は間違いを感じる直感だけは持ち続けていたいと思っています。
この清里は私にとって世界で一番素晴らしい所だと思っています。それを生かしきれていない、うまく伝えられない、そんな自分と戦っています。ともかく様々なことが頭の中を駆け巡るのです。それを整理して、一本の道を作ることが大事だと思っています。私は、ポール・ラッシュ先生がこの地に開拓のモデル事業を始めていなければ、この世に存在していません。人の存在は血のつながりだけではありません。時代背景の中で必然として、命のタスキを受け継ぎます。先人が作ってきた道を歩み、また私達も道を築いてきました。その道のりで感じてきたことを生かしたい、伝えたい、引き継ぎたい、そんなことを意識し始めています。
皆様にとって、目一杯の笑顔にあふれた一年になりますようご祈念いたします。
令和5年元旦
萌木の村村長