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萌木の村マガジン
野外バレエという夢の発端
今から34年前に清里フィールドバレエは始まりました。当時の常識は“バレエは都会の劇場で見るもの、富裕層の方々、教養のある方々が見るもの”でした。少なくとも私はそう思っていましたし、清里の住民はほとんど同じだったと思います。清里でバレエを見たことがある人は限りなく無に近かったでしょう。そのバレエを田舎で、さらに野外で上演するなど誰も不可能と思ったでしょう。
私の妻がバレエをしていたことから、川口ゆり子先生・今村博明先生がヨーロッパの野外公演でゲスト出演した直後に清里を訪れ 、野外公演の素晴らしさを語り、「萌木の村の広場でバレエの野外公演ができたら素敵ですね」と夢の発端を投げかけてくださったのです。
当時、私は清里においては観光地としての魅力に今ひとつ欠けると思っていました。何かひとつ大黒柱になるものが必要だと思っていました。オルゴール博物館もそんな思いの中で作りました。そのオルゴールを収集する中で、ヨーロッパやアメリカに行くたびに芸術に触れることもたくさんありました。芸術に興味があったわけではないですが、子供の頃ポール・ラッシュ先生の元で育った私は、ポール先生が映画やコンサートを企画してよく見せられました。そんな影響があって、清里に何かひとつ大きな目玉になるものが欲しいとずっと思っていましたので、川口・今村両先生の話に飛びつきました。
34年間分の出会いが紡ぐ感動の輪
当時一緒に萌木の村を建設してくださっていた堀内正人さんはじめ大工さん達に協力してもらい、広場に野外劇場を作る計画を練りました。清里という田舎の町で、屋根もない野外劇場をつくり、住人のほとんどがバレエに馴染みがない環境の中、無謀とも思えるチャレンジがスタートしました。今、その時のことを思い出そうとしますが、思い出せません。33回それぞれにできる限りを尽くしてきましたし、同じことの繰り返しは後退だと公言してチャレンジを重ねてきました。順番など覚えていませんが、断片的に次から次へとシーンが出てきます。出てくる思い出は苦しい思い出ばかり。しかしそれを乗り越えてきた喜び、すべては仲間との絆、舞台に立つ人、舞台を支える人、お客様、継続を支えてくれる多くの支援者。数えきれない人たちの顔が脳裏を巡ります。
私たちは多くの方と出会うことができました。その時その時、この場所でしか味わえない時間を共にしました。そしてその感動の輪を広げたいと皆さんが思ってくれたのでしょう。その結果が34回まで継続できた大きな要因だと思います。長い年月の間に萌木の村の環境も大きく変わりました。ポール・スミザーさんのナチュラルガーデンに優しく包まれながら、壮大な野外劇場で雲や月や星や風や霧などの自然な演出も楽しんでください。木陰、草陰で野鳥や昆虫たちも拍手を贈ってくれているでしょう。「ブラボー!」と。
萌木の村村長