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清里フィールドバレエ

清里フィールドバレエとは

清里フィールドバレエは日本で唯一、長期に渡り連続上演している野外クラシックバレエ公演です。
1990年以来、毎年夏に山梨県北杜市にある清里萌木の村広場に特設野外劇場を設置し、約10日間の夜間公演を実施しています。
舞台を率いるのは、数多の実績を誇る日本バレエ界のトップスター、今村博明氏と川口ゆり子氏(Ballet Chambre Ouest)。ヨーロッパで行った野外公演に感銘を受け、野外バレエの素晴らしさを国内でも伝えたいと毎年高いレベルの舞台を創り上げ、国内外から高い評価を得ています。公演には、萌木の村で日々レッスンに励む舩木洋子バレエスクールの生徒たちも出演しています。
野外公演は悪天候による中止のリスクがある一方で、命ある森の気配、星や月と踊りとの融合、風にたなびく衣装の美しさといった、その瞬間にしか味わうことができない感動に満ち溢れており、多くの〝フィールドファン〟たちを魅了しています。  

清里フィールドバレエ アニバーサリー ウイスキー   FB25th  FB26th  FB27th  FB28th  FB29th  FB30th  FB31st  FB32nd  FB33rd
清里フィールドバレエ

ポール・ラッシュ博士とは

ポール・ラッシュ博士(1987‒1979)

ポール・ラッシュ博士(1987‒1979)


写真提供:(公財)キープ協会 ポール・ラッシュ記念館

Do your best and it must be first class
- 最善を尽くせ、そして一流であれ -

上記は「清里開拓の父」と呼ばれるポール・ラッシュ博士が若い頃から大切にしてきた言葉です。
 
彼が初来日したのは28歳のとき。関東大震災で崩壊したYMCA(キリスト教青年会)再建のためでした。そのまま立教大学の教師として在留し、彼に信頼を寄せる教え子たちの支えになろうと志します。
「祈りと奉仕」を旨とする日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)を発足。東京の聖路加国際病院建設のために米国で募金活動も行います。また、日本一の富士山が見える清里の地には、青少年のためのリーダーシップトレーニング施設「清泉寮」を建設しました。
 
日米開戦の際、帰国を余儀なくされるも、戦後まもなくGHQ将校として再来日し復興支援に尽力します。食糧難に喘ぐ山間部の開拓が先決と考え、GHQを退役し清里を日本の農村再建のモデルにするべく活動。清泉寮を拠点に高冷地農業の実験や酪農、教育に取り組み、青年たちに大きな希望を与えました。
 
博士が日本で行った社会事業の功績は大きく、後年、勲三等瑞宝章が贈られました。また、アメリカンフットボールの普及に貢献したことから、「日本アメリカンフットボールの父」とも呼ばれています。

ポール・ラッシュ博士を囲む清里の子どもたち。一番左が幼い頃の舩木社長。

ポール・ラッシュ博士を囲む清里の子どもたち。一番左が幼い頃の舩木上次社長。お酒の席で、博士がさまざまな人と信頼関係を築き、物事を進めていく様をよく目にしていたといいます。博士の部屋にこっそりウイスキーを運ぶ役目も担ったとか。

サントリーホールディングス株式会社 鳥居信吾副会長の協力を得て、2017年に記念ウイスキー2種を発売。鳥居氏との連名でポール・ラッシュ記念館に寄贈

ケンタッキー州で育ったポール・ラッシュ博士は大のバーボン好きでした。サントリーホールディングス株式会社鳥井信吾副会長の協力の下、2017年に生誕120周年記念ウイスキー2種を発売。鳥井氏との連名でポール・ラッシュ記念館に寄贈しました。

 

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